今回は、岩倉街道(柳街道)を歩こう![4] 終了地点、上小田井駅から街道起点・枇杷島橋西詰付近までを歩きます。これで岩倉街道(柳街道)完歩です。
岩倉街道(柳街道)を歩こう![4] 北名古屋~名古屋(2022年9月)
岩倉街道(柳街道)を歩こう![3] 岩倉~北名古屋(2022年9月)
岩倉街道(柳街道)を歩こう![2] 扶桑~岩倉(2022年9月)
今回は、岩倉街道(柳街道)を歩こう![1]終了地点、柏森駅から石仏駅までを歩きます。途中、武功夜話が発見された前野家屋敷跡や尾張名所図会にも描かれている富士塚(お亀塚)、信長の側室となった吉乃ゆかりの小折城址にも立ち寄りましたよ。
岩倉街道(柳街道)を歩こう![1] 犬山~扶桑(2022年9月)
上街道の楽田追分から今渡の渡しまでが終わったので、楽田追分から上街道、稲置街道起点の瀬戸線東大手駅(名古屋東御門跡)を稲置街道ウォークの逆コースで歩こうかと思いました…が、未踏を歩きたい!ということで岩倉街道(柳街道)を歩きます。
岩倉街道は、信長の時代に部分的に整備された道をもとに、江戸時代(寛文7(1667)年に作られたとされています。経路は現在の清須市(下小田井村)から、名古屋市西区西部(中小田井村、上小田井村、平田村)を通り、北名古屋市、岩倉市、江南市、扶桑町を経て犬山市を結んでおり、枇杷島の青果市場へ主に「土物」(ごぼう、大根、芋など)を運ぶ運搬路として使われました。
ちなみに、岩倉街道の街道起点は枇杷島橋の西詰ですが、終点ははっきり定まっておらず、江南もしくは犬山と諸説あるようです。弊ブログでは、犬山城下・稲置街道追分を終点とし、ウォークルートは犬山(終点)から名古屋へ向かいます。
さて、1回目の今回は、犬山・稲置街道追分から扶桑・柏森までを歩きます。
岩倉街道は、信長の時代に部分的に整備された道をもとに、江戸時代(寛文7(1667)年に作られたとされています。経路は現在の清須市(下小田井村)から、名古屋市西区西部(中小田井村、上小田井村、平田村)を通り、北名古屋市、岩倉市、江南市、扶桑町を経て犬山市を結んでおり、枇杷島の青果市場へ主に「土物」(ごぼう、大根、芋など)を運ぶ運搬路として使われました。
ちなみに、岩倉街道の街道起点は枇杷島橋の西詰ですが、終点ははっきり定まっておらず、江南もしくは犬山と諸説あるようです。弊ブログでは、犬山城下・稲置街道追分を終点とし、ウォークルートは犬山(終点)から名古屋へ向かいます。
さて、1回目の今回は、犬山・稲置街道追分から扶桑・柏森までを歩きます。