その9↓の続きです。
千秋公園(久保田城址)にやってきました。車は近くのコインパーキングに駐車…したけど、お城に着いたら駐車場に空きがあった(´Д`)

18ヘクタールがどれ程か分からないけれど、とにかく広いってことは理解できました(笑)
秋田市のHPで公開されている見やすい地図はこちら(pdf)

松下門跡
来場者駐車場は、この坂を上がった先にありました。

ホウチャクソウかと思ったらアマドコロ
違いが分からん…。

八幡秋田神社
品陀別命、息長帯姫命、比売神、倉稲魂命、猿田彦命、大宮売命、武甕槌命をはじめ、秋田を治めた佐竹義宣・義和・義尭朝臣がお祀りされています。
絵馬は社殿と日の丸扇(佐竹氏家紋)柄

本丸跡

一ノ門(表門)
平成11(1999)年から2年かけて再建されたものだそうな。2階建てで立派~(´▽`*)

本丸から東方向の眺め。胡月池ビュー

佐竹義堯 像
江戸末期から維新の版籍奉還まで秋田の藩主を務めた人です。戊辰戦争の際には、新政府側に与しました。外様だからなー…(新政府側についた譜代も結構おったけど)
ちなみに、義堯の持病だった喘息を治すため、御典医・3代目藤井正亭治が用いたのが龍角散。ちょっと前まで知事やってた佐竹敬久 氏は秋田藩佐竹家の末裔だそーな。だから「のどすっきり飴」のCMとか出ちゃってたのね。いやはや、マジ殿様。それを思うと、ちょいちょい失礼な発言が出ちゃってたのは、おぼんぼんだからしょーがない…のか?
でもまあ、秋田県民からは嫌われてなかったようなので、良い知事だったのだと思います。

御隅櫓
内部は史料館です。大人ひとり150円。見に行くよー

石垣がない!土の城だわ!東のお城っぽーい(偏見)

安政6(1857)年に描かれた本丸絵図
防火用水を随所に配備。守りが堅いわね。

和紙で作られた参勤交代人形。草履直してるお侍さんがいいねー。

そんな彼らが通った道。羽州街道とか、奥羽街道とか芭蕉の「おくの細道」の世界だわ(´▽`*)
久保田から江戸まで現代の地図で大雑把に見積もって600㎞。当時は1日40㎞歩くとして、途中、渡しが必要な大きな河川がなければパネルの説明どおり、だいたい2週間。いや、日数よりも人数よね、1,350人って銭がかかってしゃーない…(;´Д`)

阿仁鉱山、院内鉱山を紹介したパネル
それまで常陸水戸で54万石を知行していた佐竹氏、(関ヶ原の合戦後)出羽久保田に転封ってだけでもダメージなのに、一気に半分以下の20万石に減らされたとなれば、そりゃ躍起になって鉱山開発もするわいな。それにしても、幕藩当初から維新まで、秋田では藩主が変わらなかったということは、佐竹氏が領民に慕われる名君だったってことよね。
最上階は展望フロア。楽しーい(´▽`*)

北西方向の眺め。男鹿半島、セリオンタワー、秋田火力発電所(令和6(2024)年7月 全機運用終了)ビュー
男鹿半島、セリオンタワー、発電所のアップはこちら。

東方向の眺め。秋田大学、鉱業博物館、太平山ビュー
太平山、鉱業博物館アップはこちら。←右の電波塔が気になるわね。

多門長屋跡

レンゲツツジ

鐘楼
お寺があるのかと思ったら、時報用だったでござる。

内堀
蓮の葉みっしり。時期に来たらキレイでしょうねえ(´▽`*)

お城を後にし、車へ戻ります。
旭川にかかる通町橋(親柱の電灯が素敵)のたもとに「秋田地方海軍人事部跡」碑
城あるところに軍事の拠点あり。

道の駅 あきた港 にやって来ました。

ババヘラアイス、秋田っぽい。
この日はちと寒く、売れ行き伸び悩みな感じでしたが、存外そうでもないのかも。

古地図とか、曳山まつりの顔はめパネルとか。
ここにきて木曽義仲の名前を目にするとはびっくり。義仲に矢が!粟津(滋賀)の合戦だね。義仲といえば、鎌倉殿…の義仲は男気MAXで滅法カッコよかった(´▽`*)

そばうどん自販機パネルの紹介
秋田発祥だったのね。渋い。

そんなレトロ自販機、現役で稼働中。自販機を設置していた佐原商店の佐原さんが、スタッフとして駐在しており、簡単な故障や不具合は自分で直しちゃうらしい。凄い。
展望タワーに登ります。

展望室、無料です。このご時世に何てありがてぇ!

エライ数の発電風車

太平山って連峰なのね。

廃線路?
では、ぼちぼち空港に向かいまーす。
続きはこちら☆彡
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