今回のGPSログはこちら↓

当日のデータ:(2025/4/20)
所要時間と距離 1時間58分(休憩16分)、累積距離7.2㎞、累積標高9m
天気 曇り
気温 20~22℃
湿度 79~68%
風速 1m
荷重 2.5kg
JR勝川駅スタート/ゴール
コースマップ(jpg)←スキャナ失敗して、上部がうにゅ~ってなった…。


勝川駅からスタート、あゆむくん(かわいいバージョン)が来てました(´▽`*)(0921)

さあ、歩くよー(0922)

道風公園を抜け…(0944)

道風記念館
こちらの道風さん、昼は官僚、夜は閻魔の秘書を務めた超絶ハードワーカー・小野篁のお孫さんと伝わっています。同じく小野篁の孫とされているのが、美女の代名詞・小野小町だそうな。
ちなみに、銅像横の「書聖在茲(書聖ここに在り)」石碑に柳とカエルが描かれているのは、スランプに苦しんでいた道風が、風になびいた柳にカエルが飛び移った様子を目にし、不調脱出の気付きを得た、という逸話から。(0945)

小野道風誕生伝説地
詳しい説明はこちら。(0946)

家康ゆかりの龍源山 太清寺 山門(1015)

本堂
臨済宗妙心寺派のお寺さんです。詳しい説明はこちら。(1016)

阿弥陀堂(十王堂)
天正12(1584)年の小牧長久手合戦の折、徳川家康が小牧山から長久手に向かう途中、こちらの阿弥陀堂で休憩しました。その際、地元の庄屋・長谷川甚助に当地の名前を尋ね、地名の「勝川村」に戦勝を確信したんだとか。勝川って地名、かように昔からあったのね。
ついでにこの話には続きがあり、その休憩の際、家康が進物の牡丹餅を食べようとしたら箸が折れ、テンションだだ下がり。が、しかし、甚助の「正に天下が一本になる予兆」の言葉に破顔一笑。士気を取り戻したとか、そうでないとか。家康方勝利の陰に、庄屋・甚助の機転あり。(1018)

地蔵川を渡ります。(1024)

リニア勝川非常口にやってきました。名古屋城傍でも見学したけど、再度見にいきます。珍しいものは何度でも見たーい(´▽`*)(1029)

見学の行列。20分弱並びました。(1035)

地下60mだそうな。めっちゃ深い…!名城非常口の比じゃないわ…!坑側面に取り付けられた階段に震える…!
ちなみに、地下40mを超えると地権が制限されます(大深度法)すんげえ深く掘ってるのはそのため。(1052)


はい、おつかれー。
無事、ゴールの勝川駅に戻ってきました。(1120)
春日井・勝川地区を歩こう!@JRさわやかウォーキング(2025年4月)はこんな感じ。今回見せてもらった勝川非常口の深度に戦慄。だって非常事態(完全停電とか)には、この深さを階段上るんでしょ。足の不自由な方とか、高齢者とか、臨月間近の妊婦さんとか大変すぎる…(苦笑)それから、太清寺つながりで小牧長久手合戦。水を差すような言いかたになってしまうけれど、あの合戦は、秀吉方は大きな損害を出したとはいえ完敗とも言い切れず。家康方も戦には勝ったけど、天下は取れておらず(だって和睦(引き分けだし))
そしてこの戦が、その後の大坂や関ケ原に続くと思うと…まあ何ていうか、歴史って面白いねっ(´▽`)
今回も楽しかったわー。さて次はどこへ行こうかな。
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