5月に歩いた、山の辺の道(南)の残り半分を歩いてきました。1日目は 山の辺の道 柳本から天理をゆるハイク、奈良市内で宿泊。翌日は曾爾高原でプチハイク。
山の辺の道を歩こう!その2は大塚山宝性院念仏寺の先、五社神社から天理駅までです。
その1↓の続きです。

五社神社
武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比咩大神がお祀りされています。4柱なのに五社(1216)

常夜灯と猿田彦大神
猿田彦大神は交通安全や道ひらきの神さまだそうーな。(1220)

西山塚古墳
継体天皇 皇后・手白香皇女の古墳と推定されています。が、宮内庁では衾田陵(西殿塚古墳)をそれと定めています。真相はいかに(でも、こういうことは真相を暴かないほうが幸せかもしれない)詳しい説明はこちら。(1222)

舟渡地蔵
腰から下の病に霊験あらたかとか。婦人病持ちとしては拝んどかんと!詳しい説明はこちら。(1228)

映えスポット的な?
QRコードを読んだら、KAKIHAにつながりました。柿の葉であれこれなさっている模様。(1242)

せんぎりや さん(振り返って撮影)
大規模無人販売所です。大根のイラストがカワ(・∀・)イイ!!(1245)

あちらこちらの街道・古道で見かけるものの用途が分からず、謎石と勝手に呼んでいましたが、連れ合い曰く「馬繋ぎ石の一種では?」だそうな。
街道ウォーカーじゃない人にあっさり謎解きされたわ。ぐぬぬ。(1248)

夜都岐神社(1251)

茅葺きの拝殿。渋ーい。素敵(´▽`*)
武甕槌命、姫大神、経津主神、天児屋根命が祀られています。さきの五社神社と同じ神さまです。ちなみに御朱印は設置された印鑑を自分で押印するセルフサービス。印影はこんな感じ。(1253)

石畳の激坂(とグーグル地図に書いてある)を激登る
(という程の急坂じゃないです(苦笑))(1315)

内山永久寺跡にやってきました。(1326)

階段を登った先の展望スペースに、往時の賑わいを示す絵図が掲示されています。「当山ハ鳥羽院の勅願永久年間中の草創なりて開山釈…」まで読んで飽きる。
永久年(1113~18)間に、鳥羽天皇の勅願で開かれました。また「太平記」によると延元元年・建武3年(1336年)に、後醍醐天皇が吉野へ逃れる道中、一時ここに身を隠したとされています。こちらの永久寺、五町(496平米)に数多の堂宇を構える大寺院でしたが、維新の廃仏毀釈でことごとく破却されました。この時に流出した仏教芸術品って、今現在、どのくらい残っているのかしらね。(1327)

展望スペースからの眺め
木々の向こうに少し見えてる池が浄土式庭園の名残かな。上の絵図でいう浴室のあった場所にいるのね。(1329)

萱御所跡
上の絵図で「後醍醐帝萱ノ御所旧跡」と書いてある場所です。後醍醐天皇といえば隠岐の島。いつか行ってみたいわー。(1334)

芭蕉句碑「うち山やとざましらずの花ざかり 宗房」
宗房っては、芭蕉が若き日に使った俳号です。まだ伊賀上野にいた頃に詠んだ歌だそうな。(1335)

(1346)

遍昭上人歌碑「里はあれて人はふりにし宿なれや 庭もまがきも秋の野らなる」(1346)

石上神社に到着
我関せずで穏やかな鶏たちでした。大事にされてるのね(´▽`*)
神社に限らず、時々、めっちゃ攻撃的な鶏っているよね。(1350)

拝殿にお参りしましょー。布都御魂大神を主祭神に、布留御魂大神、布都斯魂大神、天羽々斬剣、宇摩志麻治命、五十瓊敷命、白河天皇、市川臣命、天足彦国押人命が配神としてお祀りされています。
絵馬は、神使の鶏さんと神馬のお馬さん。月替わりで箸置きとしても使える御饌絵馬ってのもありました。(1421)

御神木の銀杏
地図をみて、ここから更に奈良へ向かう、山の辺の道(北)コースの存在を知るのであった…。どうしたものか。(1430)

摂社の出雲建雄神社、猿田彦神社(1433)

摂社から見る楼門、カッコいい(´▽`*)(1434)

「右 布留社 左 なら(奈良)」道標(1446)

布留川を渡ります。川を渡った先には「石上神宮ならびに良因寺絵図」が掲げられていました。小野小町っていうと「花の色は うつりにけりな…」どんな美女でも老婆になる。ふふふっ(´_ゝ`)(1447)

(1450)

天理経本部
めっちゃ立派…!!(1459)

商店街を通り抜けます。普通の八百屋さん、日用品店、カフェなどに並び、天理教グッズ(という表現でいいのかしら)のお店もあったり…となかなか面白かった。(1501)

はい、おつかれー。
無事、ゴールの天理駅に到着です。(1523)
では、今回の投宿地・亀の井ホテル奈良へ向かいます。
続きはこちら☆彡
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