すっかり秋めいてきた10月中旬。夏の行楽リベンジ、3泊4日で島根に行ってきました。旅程は1日目が夕方便で名古屋小牧から出雲空港、出雲市内宿泊。2日目は出雲大社に参拝、隣接の古代出雲歴史博物館を見学、益田市へ移動しグラントワで「描く人、安彦良和」、「石見生まれのメカデザイナー 山根公利」を鑑賞、三瓶温泉に宿泊。3日目は石見銀山を観光、松江城を駆け足で見学。出雲市内で宿泊。4日目の朝便で帰ってきました。
その7↓の続きです。
豊榮神社
用水桶の彫字「勇力隊中」は石見藩に召し抱えられていた力士たちで構成された部隊だそうな。一見、明治以降のコンクリート製かと思ったけど…江戸期に作られた用水桶なのね。細かい彫刻が施されてる様子からすると材質は砂岩かしら。
拝殿。毛利元就がお祀りされています。
詳しい説明はこちら。
その隣に霊亀山 西本寺 本堂
お西のお寺さんです。
薬医門の山門
その昔、要害山に築かれていた山吹城の追手門です。慶長5(1600)年、山吹城が廃城され、龍昌寺の山門として移築、その後昭和36(1961)年に龍昌寺が廃寺となった際、こちらへやって来たそうな。
その対面に、下河原吹屋跡
江戸初期の銀精錬遺跡です。
石室山 無量寿院 羅漢寺
本堂(横着して山門前から撮影)真言宗のお寺さんです。短命だった銀山人夫たちの菩提を弔うため、明和年間に月海浄印によって開かれました。
…の対面、道路沿いに五百羅漢。すごい石窟!羅漢寺は、こちらの羅漢をお守りするために建立されました。
大森地区を進むよ。景観保全のため電線地中化が施されています(´▽`*)
縁起物に遭遇。ありがたや~。慶讃法要と呼ばれる「宗祖親鸞聖人の御誕生と立教開宗を慶び讃える」法事だそうな。
石城山 観世音寺
さきの羅漢寺を開いた月海浄印が住持した、銀山隆盛を拝む大森代官所の祈願寺でした。詳しい説明はこちら。
本堂と祠
真言宗のお寺さんです。
ブラタモリ#213でタモさんも眺めた景色
赤い瓦が多いわねー(後で調べたところ、石州瓦という石見の特産品だそうです)
(仁王像見えてないけど)仁王門
一旦、自転車を返して、徒歩で再度町並みを巡るよー。
「数の風景」に因んだ記念碑。松本清張の小説は陰湿でいいよねー。
先ほど、自転車で駆け抜けた町並みを、今度は歩いて進みます。
熊谷家住宅
詳しい説明はこちら。町の有力者ってやつだ…!
さきの慶讃法要が執り行われたお寺、龍泉山 西性寺さん
しれっと見物。立派な本堂の前で記念撮影真っ最中。圧巻だわ。
ドイツパンのお店 ベッカライ コンディトライ ヒダカ さん
翌朝のご飯にプレッツェルを購入( ´ ▽ ` )超絶美味でした!!
雪厳山 榮泉寺さん。詳しい説明はこちら。
龍宮門の脇にはさまざまな仏像が祀られていました。
本堂
曹洞宗のお寺さんです。慶長元(1596)年に開山、禅道場だったそうな。
シブイお酢や、松井酢店さん(もしかしたら、もう営まれてないかも)
旧大森裁判所。現在は大森町並み交流センターとして利用されています。
詳しい説明はこちら。
駐車場の近くまで戻ってきました。おおもり さんでお昼ご飯♪
島根来たからには割子そば。しみじみ美味い
いも代官ミュージアム(横着して入口のみ。玄関先の「公開中」がかわいい(*´▽`*))
石見銀山を治めた大森代官所の跡に、適摩郡役所が建てられ、昭和51(1976)年から歴史、鉱山、鉱物標本などの資料館として公開されています。「いも代官」…第19代の代官として務めた井戸平左衛門は領民からそう呼ばれました。平左衛門が鈍くさかったから…ではなく、享保の大飢饉にサツマイモの栽培を奨励し領民を飢餓から救い、謝意と親しみが込めての愛称だった模様。
代官所 地役人 旧河村家(横着して…(略))
「地役人」ってのは、言葉通り地元で採用された役人のこと。先の熊谷家同様、町の有力者だわ…!
城上神社
代官所跡の奥にひっそり鎮座。出雲大社と同じ大国主命がお祀りされています。
立派な拝殿。詳しい説明はこちら。
連れ合いを待たせていたので、絵天井を見る余裕はなかった…
石見銀山を後にし、出雲市内へ向けて移動しまーす。
お次はこちら☆彡
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