中山道を歩こう![29]高宮~愛知川 その2(2024年7月)

めっちゃ久々に中山道ウォーク。懸案の高宮以西をやっと歩いてきました。今回は前回終了地点の近江鉄道高宮駅から五箇荘駅。街道としては高宮宿から愛知川宿を少しすぎた先(武佐宿西の見附から8㎞(2里)弱付近)です。その2は、「またおいでやす」碑も少し先、葛籠町 標石から宇曽川にかかる歌詰橋までです。


その1↓の続きです。


今回のGPSログはこちら↓
28july2024-190.png

28july2024-192.png
↑旅人の碑「またおいでやす」から石畑一里塚跡まで

28july2024-193.png
↑石畑一里塚跡の先、伊藤忠兵衛翁 碑から歌詰橋の先、豊満神社、中山道追分まで。

28july2024-45.JPG
葛籠町 標石(0853)

28july2024-46.JPG
出町地蔵尊(0859)

28july2024-48.JPG
道対面に日枝神社(0900)

28july2024-49.JPG
休憩所(0901)

28july2024-50.JPG
出町 標石(0901)

28july2024-52.JPG
春日神社
どうでもいいことだけど、出町 標石から春日神社までの道中に、怖すぎる民家があった…。(0915)

28july2024-53.JPG
やりこの郷
詳しい説明はこちら。雨乞い神事で射った矢が当地に刺さり、矢を抜いたところ清水が湧いたそうな。(0918)

28july2024-55.JPG
石畑立場跡
詳しい説明はこちら。(0920)

28july2024-58.JPG
石畑間の宿(あいのしゅく) 碑(0920)

28july2024-59.JPG
八幡神社境内 石畑一里塚跡。江戸日本橋から210里め。
復元された塚のアップはこちら。(0921)

28july2024-61.JPG
拝殿(0921)

28july2024-62.JPG
伊藤忠兵衛翁碑
伊藤忠・丸紅は滋賀発祥の企業なのねー。詳しい説明はこちら。(0932)

28july2024-64.JPG
隣は伊藤長兵衛屋敷跡(0933)

28july2024-65.JPG
さらに西に数十m進んだところに伊藤忠兵衛記念館(0934)

28july2024-66.JPG
天雅彦神社(0940)

28july2024-67.JPG
…横着して街道から遥拝(0940)

28july2024-69.JPG
金田池(0941)

28july2024-70.JPG
給水塔?とトイレ
トイレありがたい(∩´∀`)∩(0943)

28july2024-74.JPG
「あけぼの印缶詰」ゆかりの又十屋敷(藤野喜兵衛邸宅)
マルハニチロの鮭缶だね。マルハニチロといえば荒俣宏。(0946)

28july2024-75.JPG
一里塚碑(先ほどの石畑一里塚から1.4kmくらいしか離れてないのに、何故ー??)(0946)

28july2024-78.JPG
西還寺
お西のお寺さんです。(0947)

28july2024-79.JPG
江州音頭発祥の地 碑
どっこいさのせ〜♪(0949)

28july2024-80.JPG
日吉山 千樹寺
行基創建49院のひとつだそうです。江州音頭によると、永禄11(1568)年秋、信長の焼き討ちに遭いました。その後、天正14(1586)年、近江商人・藤野太郎右ェ門によって再建されました。先の藤野喜兵衛は太郎右ェ門の子孫だそうな。(0949)

28july2024-81.JPG
東屋があるよ。ありがたいねー(∩´∀`)∩(0949)

28july2024-82.JPG
扇踊り、絵日傘踊り 碑
江州音頭の発展形のよーな?(0952)

28july2024-84.JPG
詳細不明な五輪塔(0955)

28july2024-85.JPG
宇曽川にかかる歌詰橋を渡ります。
その昔、年貢米を積んだ船が、この川を下っていたことから「運漕川」と呼ばれ、訛って「宇曽川(うそがわ)」となったそうです。詳しい説明はこちら。そしてここにも将門伝説があるのねー。首だけになっても藤原秀郷を急襲するとか、将門強すぎ。(0955)

28july2024-87.JPG
下流側。源流は犬上川と同じ鈴鹿山脈、湖東平野を経て琵琶湖に注ぎます。
いろんな鳥がいて面白かったです(´▽`*)(0956)

西に向けてさらに進むよー。続きはこちら☆彡




この記事へのコメント