めっちゃ久々に中山道ウォーク。懸案の高宮以西をやっと歩いてきました。今回は前回終了地点の近江鉄道高宮駅から五箇荘駅。街道としては高宮宿から愛知川宿を少しすぎた先(武佐宿西の見附から8㎞(2里)弱付近)です。その2は、「またおいでやす」碑も少し先、葛籠町 標石から宇曽川にかかる歌詰橋までです。
その1↓の続きです。
今回のGPSログはこちら↓
↑旅人の碑「またおいでやす」から石畑一里塚跡まで
↑石畑一里塚跡の先、伊藤忠兵衛翁 碑から歌詰橋の先、豊満神社、中山道追分まで。
葛籠町 標石(0853)
出町地蔵尊(0859)
道対面に日枝神社(0900)
休憩所(0901)
出町 標石(0901)
春日神社
どうでもいいことだけど、出町 標石から春日神社までの道中に、怖すぎる民家があった…。(0915)
やりこの郷
詳しい説明はこちら。雨乞い神事で射った矢が当地に刺さり、矢を抜いたところ清水が湧いたそうな。(0918)
石畑立場跡
詳しい説明はこちら。(0920)
石畑間の宿(あいのしゅく) 碑(0920)
八幡神社境内 石畑一里塚跡。江戸日本橋から210里め。
復元された塚のアップはこちら。(0921)
拝殿(0921)
伊藤忠兵衛翁碑
伊藤忠・丸紅は滋賀発祥の企業なのねー。詳しい説明はこちら。(0932)
隣は伊藤長兵衛屋敷跡(0933)
さらに西に数十m進んだところに伊藤忠兵衛記念館(0934)
天雅彦神社(0940)
…横着して街道から遥拝(0940)
金田池(0941)
給水塔?とトイレ
トイレありがたい(∩´∀`)∩(0943)
「あけぼの印缶詰」ゆかりの又十屋敷(藤野喜兵衛邸宅)
マルハニチロの鮭缶だね。マルハニチロといえば荒俣宏。(0946)
一里塚碑(先ほどの石畑一里塚から1.4kmくらいしか離れてないのに、何故ー??)(0946)
西還寺
お西のお寺さんです。(0947)
江州音頭発祥の地 碑
どっこいさのせ〜♪(0949)
日吉山 千樹寺
行基創建49院のひとつだそうです。江州音頭によると、永禄11(1568)年秋、信長の焼き討ちに遭いました。その後、天正14(1586)年、近江商人・藤野太郎右ェ門によって再建されました。先の藤野喜兵衛は太郎右ェ門の子孫だそうな。(0949)
東屋があるよ。ありがたいねー(∩´∀`)∩(0949)
扇踊り、絵日傘踊り 碑
江州音頭の発展形のよーな?(0952)
詳細不明な五輪塔(0955)
宇曽川にかかる歌詰橋を渡ります。
その昔、年貢米を積んだ船が、この川を下っていたことから「運漕川」と呼ばれ、訛って「宇曽川(うそがわ)」となったそうです。詳しい説明はこちら。そしてここにも将門伝説があるのねー。首だけになっても藤原秀郷を急襲するとか、将門強すぎ。(0955)
下流側。源流は犬上川と同じ鈴鹿山脈、湖東平野を経て琵琶湖に注ぎます。
いろんな鳥がいて面白かったです(´▽`*)(0956)
西に向けてさらに進むよー。続きはこちら☆彡
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