今回のGPSログ(ルート)はこちら↓

当日のデータ:(2024/04/15)
所要時間と距離 1時間1分、累積距離3.6㎞、累積標高65m
天気 曇り
気温 21.5〜20.5℃
湿度 50%前後
風速 3m
荷重 1kg
前渡不動駐車場スタート/ゴール

駐車場からスタート。お堂の隣(というか、正確にはお堂の隣の倉庫の横)に「承久の乱と各務原」の案内看板が設置されています。(1619)

カフェドエピさんの横から登ります。(1619)

承久の乱供養塔。傍らの説明看板はこちら。(←今回、画像を失念したので3年前の画像です)
各務原市図書館で配布しているパンフレットのpdfリンクはこちら。←とっても美しいパンフレットです。(1623)

薄っすらと すいとぴあ江南、小牧山、名駅ビル群ビュー(1626)

本堂。真言宗醍醐派のお寺さんです。(1626)

ウツギ真っ盛り(∩´∀`)∩(1626)

藤は終わっていた…(1627)

三等三角点「弁財山」、「御即位記念 奥乃院」碑(1629)
三角点のすぐそばにある山道を進み、3年越しの宿題を片付けにいきますよー。

前回は画像左から登ってきました。今回は分岐を正面方向へ進み下山します。(1631)

めっちゃ鮮明…とは言えないけど、それなりに残っている踏み跡を辿り…(1633)

登り口が見えてきました。手すりもあって親切仕様。(1635)

(振り返って撮影)
ここから出てきました。(1635)

前渡調整池(1636)

神明神社
元気溌剌なちびっ子たちの集会場になってました。微笑ましいです(´▽`*)(1637)

矢熊山南掩体壕
ここに零戦が納められていたかもなのね。試作機は大江から各務原飛行場まで、牛さんでのんびり運ばれました(トラックを使わなかったのは、未舗装で道が悪かった(振動対策)のため)ちなみに、名古屋港から各務原までは50㎞くらいあるので一日仕事です。たいへーん。(1643)

桃春院 本堂。曹洞宗のお寺さんです。
現在、佛眼院山中で弔われている承久の乱供養塔(五輪塔)は、昭和30年代まで、こちらのお寺さんに据えられていました。(1657)

芭蕉塚と詳細不明な燈籠、庚申塚(1658)

山門(1658)
ぼちぼち、前渡不動駐車場にもどりましょう。

各務原浄化センター。前渡不動の対面あたりに位置する水道関連施設です。パンフレットpdfはこちら。クマムシってマクロビオツスって言うんだそうな。おつおつ。(1707)

施設内を探索。前渡の渡し(草井の渡し)跡 碑
愛岐大橋ができるまで、各務原市前渡ー江南市草井を結んでいました。ついでに、現在絶賛建設中の新愛岐大橋は浄化センターより上流、各務原市鵜沼大伊木町と扶桑町小淵を結びます。(1712)


前渡猿尾堤(さるおつつみ)
江戸~明治時代に築かれた堤防です。本堤から直角に堤を伸ばすことで水の勢いを削ぎました(いわゆる横堤)
川向う、尾張名所図会後編に描かれた「草井の大猿尾堤」はこちら(26/37)図絵の木曽川、めっちゃ広く描かれてます。近代河川護岸工事以前はこんなだったのねえ。
江戸時代の木曽川の堤防については、思うところがあるけれど今回は触れずにおこう…。(1715~16)

市杵島神社
市杵島姫命がお祀りされています。水の神様だね。(1718)

はい、おつかれー。
無事、駐車場に戻ってきました。(1720)
不動山に登ろう!(前渡不動再々訪)(2024年4月) はこんな感じ。3年越しの宿題がやっと片付きました(苦笑)今回は掩体壕、桃春院、渡し跡、猿尾堤など当初の予定(不動山の未踏を完歩)になかった発見がいっぱいありました。興奮と満足感たっぷりです…!やっぱり徒歩の速度じゃないと気付かないものって沢山あるわねー。
さて次はどこに行こうかな。
この記事へのコメント