4年前に高沢観音で佐藤方政と家臣たちの供養碑を見かけ、それから2年後、美濃市をぐるぐる歩いた帰りに登り口を発見、気になっていた古城山(佐藤氏が3代にわたり城主を務めた鉈尾山城址)に登ってきました。
今回のGPSログ(ルート)はこちら↓
当日のデータ:(2024/03/31)
所要時間と距離 1時間53分(休憩4分)、累積距離4.3㎞、累積標高342m
天気 晴れ
気温 19〜23℃
湿度 60~50%前後
風速 2m
荷重 6.2kg
美濃市運動公園駐車場スタート/ゴール(マップコード:70 785 505*44)
美濃市運動公園の駐車場からスタート。トイレもあるよ。(1028)
今回は毛鹿洞池方面から周回します。(1029)
ウサギのような、リスのような…。
林野庁の「山火事注意」のリスってこんな感じだったよねー…と検索してみたら、「リスのまとい」という固有名詞があることが判明。どこで役立つか分かんないけど知識が増えたわ(笑)(1031)
毛鹿洞池に気が付かないまま登山口に到着(池は工事で水が抜かれて枯れ池になってた模様)
登るよー。(1035)
堰堤を渡渉(1044)
「階段が多い」と聞いていたけど…ホントに階段が多かった(笑)(1048)
ショウジョウバカマ。春だねー(1053)
中腹地層は粘土質(1054)
分岐には看板があります。ありがたやー。(1055)
東屋発見(1106)
ここからの眺め(1107)
立派な巨石(∩´∀`)∩(1107)
このあたりでよく見かける層状チャートが出てきました。(1110)
東海北陸道ビュー(1113)
左右が切れ込んでいる…これは土橋だと思うの!
(おかしな病に罹っているので、切れ込みは堀に、盛り土は土塁に見えるのです)(1119)
案内看板にあった「不動の岩」はこれかな?先ほどの巨石って気もするけど…。(1121)
城址の遺構が出てきました。石塁。アップ画僧はこちら。
石垣との違いは、石垣は裏込石を詰め、排水機能を持たせてあるのに対し、石塁は単純に防御壁として積んであるだけ。(1126)
大手曲輪
伐採木置き場と化しておる…(苦笑)(1127)
三の曲輪(1127)
山頂に到着ー(∩´∀`)∩
ちなみに、同じ場所のiphone画像はこんな感じ。こちらのほうが鮮明です。(1128)
近場の美濃橋、小倉山、誕生山&天王山しか分からない…(1128)
「史跡 (美濃〇)佐藤(方〇〇)城址」碑
括弧で囲った部分は文字が埋められている&解読不可でした。(1130)
案内看板。「鉈一丁にて何千騎にても防ぎ申す」と上有知旧事記にしるされた縄張り図アップはこちら。2代目城主・佐藤秀方の妻は金森長近の姉で、その縁から秀方は下呂の萩原諏訪城の城代を務めたりもしました。
つなみに、案内看板手前には、二等三角点「古城山」が据えてあります。が、うっかり失念。また登るかね…。(1130)
大して歩いてないけど休憩~(´▽`*)
羊羹はよう噛んで…(1132)
午後から用事があるので、早々に下山。帰り道もやはり階段に次ぐ階段であった…。(1141)
石垣(当時のものかは不明。資材はチャートっぽい)(1144)
…の隣にチャート(1144)
このあたりは藪椿がいっぱい。地図の「つばきの道」ってところかなあ。(1159)
いっぱい花が落ちていたので、ハート作っといた❤ BBAが乙女心出しちゃってすみません。(1206)
…あれっ。道間違えてた?!(1210)
(振り返って撮影)歩きはOKだった模様。(1211)
沢を渡渉。2回目(1215)
水源涵養保安林
森にしておくだけで保水能力UP。ということは、あちこちに設置されている太陽光パネルは山林の保水能力を削いでるのでは…(´Д`)(1217)
春だねー(´▽`*)(1220)
はい、おつかれー。
無事、駐車場に戻ってきました。(1222)
古城山(鉈尾山城址)に登ろう!(2024年4月)はこんな感じ。山道は明瞭で迷うところはほぼありません(一か所間違えたけど…)沢沿いはマイナスイオンたっぷり(´▽`*)
そんな古城山、4年越しの宿題が片付いた…けど、三角点を失念してやり直しって感じです(苦笑)同じ山でも時期やルートを変えると新しい発見があるので、次回は反対ルートから歩きます。また、今回は時間の都合で古城山のみ歩いてきましたが、ここだけだと少し歩き足らない感じもするので、もう少しルートを考えてみまっす。
さて次はどこに行こうかな。
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