中山道を歩こう![番外編] 中山道往来2023 その2(2023年11月)

2年ぶりに細久手→御嶽。ご縁があったら絶対参加したいと思っていた 中山道往来~なかせんどううぉーく~ で歩いてきました。
その2は津橋公民館の先、西国秩父坂東百番供養塔からゴールの御嶽宿さんさん広場まで。

その1↓の続きです。


今回のGPSログはこちら(全体)↓
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(蜂が出て、一か所急遽ルート変更になりました)

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↑津橋公民館から、ゴールの さんさん広場まで

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西国秩父坂東百番供養塔(0959)

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氏神様(ズームで撮影)(1000)

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路肩崩落注意(1006)

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廃墟も以前と変わらないまま…(1007)

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物見峠・馬の水飲み場(跡)(1011)

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御殿場跡
和宮降嫁の折、当所に休息用の御殿が建てられました。隣には立派なトイレがあるよ。(1012)

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令和の現在は、庶民が休憩し放題。(1012)

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木々が伸びて、ビュー全く無くなりました。前回はちょろっと見えた恵那山も見えんくなった…。(1013)

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森の中に突如あらわれるオサレなケーキやさん ラ・プロヴァンス(左上の建物)(1014)

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唄清水♪♪
沸かしても飲用には勇気がいるかな…(失礼)(1018)

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旧善知鳥村民家
エイドになってました。こうやって使われているのね!(1020)

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鳴り物も出てて、超たのしい(´▽`*)(1021)

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一吞清水
街道をゆく旅人を潤しただけでなく、和宮にも愛飲されました。後に上洛した折、多治見永保寺での点茶にも使われました(この時の和宮は、永保寺に滞在したそうなので、中山道でなく下街道で京に向かったのかしらね)(1021)

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十本木立場跡
詳しい説明はこちら。
「新撰美濃志(謡坂村の項(398/446))」によると「十本木茶店い木曾路通りの休茶屋なり數十株の松梅立たる故かん名づく…」とあるので、往年には美しい松並木がならんでいたのでしょう。現在、残っていないということは美濃路の松並木同様、戦時中に松根油を搾るために切り倒れたんだと思う。(1023)

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謡坂一里塚
江戸日本橋から94里め。詳しい説明はこちら。(1025)

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いろは茶屋の対面にボランティアガイドの偲歴会さんがスタンバイ
この辺りが、広重の「木曾海道…御嶽」のモデルとなった場所です。
ちなみに、きちん宿のきちん(木賃)とは、薪代のことで、燃料費を支払って自炊もしくは持参の食材を調理をしてもらう格安宿です。ゆえに、部屋は板の間に莚を敷いて雑魚寝。今でいうゲストハウスやユースホステルみたいな感じでしょうか。そう思うと、寝具は布団、晩朝ご飯付きの温泉旅館とか、江戸時代で言ったら脇本陣レベルだわ。殿様じゃん!(本陣の宿泊は公家、大名、幕府役人などに限定されていましたが、脇本陣は空きがあれば庶民でも泊まることができました)(1025)

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謡峠石畳を進みます。詳しい説明はこちら。
しんどい坂道、私の場合は脳内で「さんぽ」(ととろの歌)が流れます(笑)(1027)

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秋だねー(1030)

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何度かめのエイド(1030)

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耳神社
名前の通り、耳の不調にご利益があるそうな。で、無事に治癒したあかつきには…(1034)

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お礼参りに錐とか、簾とかをお供えします。
ちなみに、簾は本来、歳の数だけ錐を繋げるらしい。子どもならともかく、中高年は、そんだけ錐を用意するのが難儀でしょうよ。危ないし(苦笑)(1035)

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(少し進んでしまった先の画像だけど)この先の山道で蜂が出たため、ここから急遽ルート変更、坂の下まで県道を歩きます。
案内のおじちゃんに「蜂に刺されて死ぬかも知れん」と言われ、つい「や、死にゃあせんがぁ」と答えてしまった…。大人げなかった。反省。人によってはアナフィラキシーもあり得る(しかも、油断してうっかり方言)(1039)

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祠発見(1040)

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牛の鼻欠け坂をスルーし、再度中山道に合流
ちなみに、初めてここを歩いた時、分岐にこんな看板があって震えました(笑)実際はそこまでハードな道のりじゃない(人家もあるし、携帯も通じます)けど、まあ準備万端に越したことはないわね。日が沈むと野生動物が出る可能性もあるしね。(1051)

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和泉式部廟
平安時代を代表する女流歌人だそうな。色好みが過ぎて、藤原道長に「浮かれ女」と称されました(どうやら誉め言葉だったそうです。信じられん…(´Д`))(1057)

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石碑には「ひとりさえ渡れば沈むうき橋にあとなる人はしばしとどまる」と彫られています。
和泉式部は東山道をすすむ途中、御嵩あたりで病を得て、鬼岩温泉で湯治をするも寛仁3(1019)年に当地で没したそうです。放射線ホルミシスは健常者や慢性疾患には好影響をもたらしても、重度の急性疾患には免疫力がさらに低下しちゃうのかもね。(1057)

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「右 中街道 中山道大井驛達」道標
中街道は、下街道釜戸から、日吉、柄石峠、鬼岩を越え御嵩に合流します。中山道制定以前、東山道の頃の街道です。東濃は花崗岩地質でウラン鉱床を有しているので鬼岩温泉は放射能線(ラジウム泉)…温泉、行きたいなあ。(1058)

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このあたりに、その昔は栢森の一里塚がありました。江戸日本橋から95里め
今は跡形もないけど(苦笑)(1111)

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用心井戸
「正一位 秋葉神社 上町組」と彫られた石碑が建っています。(1115)

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みたけ華すし作りが体験できる古民家(5人以上、要予約)(1118)

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商家竹屋のとなりに、御嶽宿本陣跡。ファザード保存です。
代々野呂家が勤めていました(竹屋の写真がうまく撮れなかった…)(1121)

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中山道みたけ館
1階が図書館、2階が郷土資料館になっています。資料館は無料と思えない充実っぷり(でも、今回はスルー)(1122)

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絶賛、改修中の大寺山 願興寺 最澄の創建と伝わる天台宗のお寺さんです。
高虎並みに主君を変えた(笑)笹の才蔵(可児才蔵)が育ったお寺さんでもあります。(1122)

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わいわい館
物販、無料の呈茶、スタンプもあるよ。(1122)

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はい、おつかれー。無事、ゴールの さんさん広場に到着です
犀の角のように黙々と歩いたら3位入賞。でも、スピードを競うものではないのでオプションはありません(笑)(1123)

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参加賞の手ぬぐい(手ぬぐいを広げた画像はこちら。素敵デザイン♪)、パンフレット、スタンプラリー達成のウッドチャーム(ウッドチャームの両面画像はこちら
スタンプはパンフレットに押印箇所があります。その場所ごとの絵柄で楽しかったです(*´▽`*)

中山道を歩こう![番外編] 中山道往来2023(2023年11月) はこんな感じ。念願の中山道往来、めっちゃ楽しかったです(*´▽`*) 1人で歩いた時は、野生生物との遭遇を警戒し、物音がするたびに熊鈴を鳴らしたり、歩調を早めたり、物見峠(御殿場)のトイレに安心したり…と楽しいけれど、緊張もあり…という感じでしたが、今回は、随所に出ていた趣向を凝らしたエイドや、道中の元気有り余るちびっ子たち(しかも、葉っぱを見て樹木を判断する利発ぶり。地元の子供たちすごい)、とそれにも劣らぬ健脚シニアたちに囲まれ、ただひたすら楽しかった…!来年も都合が合えばぜひ参加したいです。今度は御嶽→細久手で。
さて次はどこに行こうかな。




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