浜松を歩こう!@JRさわやかウォーキング その2(2023年6月)

JRさわやかウォーキング、今回は浜松。家康関連堪能コースです。その2は引間城址(元城町東照宮)からゴールの浜松駅まで。

その1↓の続きです。


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引間城址御城印配布所、家康住居跡
住居跡の詳しい説明はこちら。
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元城町東照宮拝殿(引間城址本丸跡)
女城主として家康と戦い討ち死にした田鶴。夫(飯尾連龍)は義元死後、あっさりと今川から離反してしまったけれど、田鶴は出自のプライドがそれを許さなかったのかしらね。ちなみに享年18歳。何というトゥーヤングトゥーダイ。
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二公(家康、秀吉)像と写れるスポット
二公と浜松の詳しい説明はこちら。「運気UP!」と強めに推してます。そんなに?そんなになの?!
ちなみに、三英傑の生まれ年は信長 天文3(1534)年、秀吉 天文6(1537)年、家康 天文11(1543)年。奉公先を探し、秀吉が浜松にいたのが天文20~23年(16~18歳)頃。今川家臣の松下之綱に仕えていたそうです(このころは豊臣秀吉どころか、木下藤吉郎でさえなかった。日吉丸のころでしょうかね。…日吉神社にお参りして子宝に恵まれたから日吉丸なのか!?)
家康が浜松にいたのは、元亀元(1570)年~天正14(1586)年(29~45歳)
浜松から駿府へ移った家康は、同年、秀吉の妹(旭姫)を嫁に娶ります。へうげものでは「いかんせん暗い」と言われ、真田丸では清水ミチコさんが心底怠そうな顔で演じていました。今回のどうする家康では山田真歩さん。ずーっと不機嫌な顔しててほしいです(笑)
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城址石柱。左側、説明看板のアップはこちら。
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日限地蔵尊
「何日迄に」という感じで日を限って祈願すると願いが叶えられる」といわれるお地蔵様だそうです。締め切りがあるとは、なんと合理的な。
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引間城址玄黙口跡
三方ヶ原の戦いで家康がここまで逃げ帰ってきました。が、門番が家康本人だとなかなか信じてくれず、ちっとも門を開けてくれなかったとか。そんな用心深い門番に対し、家康は「職務に忠実、善きだね!」と竹流し(銀の延べ棒)を褒美に与えたそうな。満身創痍なのに他者に配慮する家康スゴイな。
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玄黙寺跡
立派な蘇鉄で知られる吉田町・能満寺の末寺でした。能満寺に植わっている蘇鉄を家康が欲しがり、駿府城にお持ち帰りするも、蘇鉄が夜毎「お寺へ帰る~」と泣いたそうな。マジかよ…。
(で、家康はお寺さんに帰したそうです。遠州七不思議のひとつだとか)
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浜松八幡宮
仁徳天皇の時代に遠淡海の鎮静として、玉依比売命を許部の里に祀ったことがはじまりとされています。時代が進み、元亀元(1570)年、家康の引間城(浜松城)入城の折、鬼門封じとされました。
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雲立の楠
三方ヶ原から逃げ帰った際、こちらの楠の窪みに隠れて武田勢の捜索を逃れたそうです。その時に、こちらの楠から瑞雲が登ったから「雲立の楠」と呼ばれるようになったとのこと。
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絵馬は雲立の楠と拝殿

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と、馬が9匹「うまくいく」

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アクト通り
緑化公園になっています。オサレー。
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アクトタワー
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浜松駅が見えてきました。
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はい、おつかれー。
無事、ゴールの浜松駅に到着です。
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浜松を歩こう!@JRさわやかウォーキング(2023年6月)はこんな感じ。城址、屋敷跡が神社になっていることもあって、今回は神社仏閣が多かった(笑)それから、浜松のドラマ館。無料で見せてもらえたのがありがたかったです(おとな1人800円)。ちなみにお城も団体割引料金(200円→160円)でした。
さて、次はどこに行こうかな。

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