その2は、折り返し地点の妻籠宿からゴールの南木曽駅まで。
その1↓の続きです。
妻籠宿内を東へ進みます。
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上嵯峨屋
木賃宿を営まれていました。薪代(木賃)を払って、持参した食材を自炊する素泊まり宿です。
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内部
板の間にゴザ敷き。客はゴザの上で各々雑魚寝。うーん…寝心地悪そう(笑)
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厩(馬小屋)
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延命地蔵堂
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下嵯峨屋
こちらも木賃宿を営まれていました。
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桝形
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妻籠郵便局
一部分が資料館になっています(オープンは平日のみ)風景印はこちら。
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妻籠宿本陣(島崎家)
島崎藤村のお母さん(ぬい)の実家です。明治維新後に解体されましたが、近年復元されたそうです。本陣なのに瓦葺じゃなかったのね。
本陣、脇本陣が半月交代で人馬会所(問屋場)も務めていました。詳しい説明はこちら。このイラスト、人夫がにこやかに描かれてていいね。実際は重労働で大変だったと思う。
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本陣となりの休憩スペースでは、端午の節句かざりが公開されていました。
金太郎がいっぱい!
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人形たちは宴を催したり…
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花札に興じています。あかよろし。
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脇本陣奥谷(林家)
リンゴ畑で藤村が見初めた、大脇ゆふが14歳で嫁いできた家です。8歳で大人の髪型に結いなおすとか、木曽谷の人たち早熟すぎだろ…。
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復元高札場
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中山道は高札場が再現されていたり、一里塚が比較的多く残っているのがいいねー。ロマンだわ。
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妻籠口留番所跡
このあたりが妻籠宿の東端(江戸側)です。 行き交う人馬、荷物を監視する役所が置かれていました。
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鯉岩
鯉に見えない、それもそのはず。濃尾地震で頭の部分が落下しちゃったんだって。震災以前はこんな感じだったそうな。
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上久保一里塚
江戸日本橋から78里目(だいたい306kmくらい)
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両塚残っています。感激!!
詳しい説明はこちら。
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国道19号に合流。天白公園に向かいます。
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福沢桃介記念館
内部は12年くらい前に見学したので、今回はスルー。もしかしたら、展示が変わってたかも…。
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天白公園に到着。ミツバツツジまつりが開催されていました。
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ミツバツツジのトンネル。素敵!
南木曽のミツバツツジ、詳しい説明はこちら。
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展望台からの眺め
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南木曽岳(矢印の部分)
登ってみたいけど、基本ひとりなので遭難と熊が怖い…。複数人だったら大丈夫って保障もないけど。
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桃介橋を渡ります。人が少なかったせいか殆ど揺れませんでした。吊り橋なんだから、もっとグワングワンして欲しい(笑)
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橋からの眺め。上流側
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途中で河原に下りられます。下りるよねー。
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石を観察したり、拾ったり、積んだりして1時間くらい遊べそう。
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名残惜しいけど、電車の本数が少ないので駅に向かいます。
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はい、おつかれー。
無事、南木曽駅に戻ってきました。
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臨時便で帰りまーす。
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南木曽町を歩こう!@JRさわやかウォーキング 'n 中山道を歩こう![27]妻籠~三留野(2023年4月)はこんな感じ。遅々として進んでいない中山道ウォークが2㎞、東進しました(笑)今回はツツジだけでなく、花桃などあちこちに花いっぱいで癒されましたー。花の時期が終わると若葉が瑞々しく、木曽路は一番いい時期がやってきます。歩きたくなるね!
さて、次はどこに行こうかな。
おまけ:中津川駅前の物産館で山菜やらタケノコやらを購入してきました。
栗の時期じゃないので客が少なく、買い物しやすくてよかった(笑)
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