その7↓の続きです。
梅ヶ島温泉から1時間弱、駿河湾に面してイチゴのビニールハウスが並ぶ久能山東照宮の山麓に到着。日本平側からロープウェイでアクセスする方法もあるけれど、折角太く逞しい足を持っているので使ってやんよー。
民間駐車場に車を停め石段を登ります。
久能山 徳音院。天台宗のお寺さんです。
家康の側近・南海坊天海によって開かれました。天海ていうと光秀生存説。108歳まで生きたとかいうけど個人的に生存説には眉唾です...。夢がある話ではあるけど。
なお、家康にはもう一人、黒衣の宰相がいました。以心崇伝(金地院崇伝)、臨済宗の僧侶です。崇伝は方広寺梵鐘に刻まれた銘文の粗を探し、家康に入れ知恵し秀吉にイチャモンつけるきっかけを作った人です。…が、この説は現在では否定的な意見が大方だそうな。
駿河稲荷社
海!テンション爆上がり!!
一般人が入ることができる最奥部・家康廟までの中間地点です。麓からここまで15分(比高は100mくらい)
駿河湾が一望できます。素敵ー!
一ノ門。城門のような堅牢さだね(東照宮として鎮座する以前は武田の山城でした)
ありがたい看板。
もとは7世紀に久能忠仁によって補陀落山久能寺として開山、乱世には信玄の山城(久能山城)に、その後、山城を廃し東照宮が創立されました。確かに要害に利のある場所だわ。
楼門をくぐります
徳川家臣たちの寄進灯篭(振り返って撮影)
こちらの灯篭には成瀬正成(犬山城主)の名前が入っています。
今際のみぎりに「日光(東照宮)の大御所(家康)様のもとに行く!」と言い出し家臣たちを困らせちゃったお茶目な殿様です。幼い頃から家康の小姓として仕えていたので思うところがあったのかも知れません。
ぱっと見て成瀬氏が目に入ったので、一番手前の灯篭を写してきたけど、他の家臣たちの銘もあったはず。もっとちゃんと見てこればよかったな。
唐門を回り込むように進み…
ところで、唐門前から少し広くなっているので、このあたりから拝殿にかけてが山城当時の本丸跡かも。
拝殿にお参りするよ。煌びやかで麗しいねー。
絵馬は唐獅子牡丹
(高倉健さんではない)
一般参拝客が入ることができる最奥部、家康廟。
地理院地図を見ると、神饌所近辺からピーク(p216)に道が伸びているのだけど神域につき基本的には立ち入り禁止のよう。先の案内看板から想像すると山城当時の愛宕郭が久能山の山頂かしら。
家康廟の右手側には金のなる木
事のおこりは、家康が家臣たちに三叉に分かれた木を描き見せ、「よろずほどよ木(万事程良く)、しょうじ木(正直)、じひふか木(慈悲深き)」と示し、アンドモアに細川忠興が「あさお木(朝起き(早起き))、ゆだんな木(油断無き)、かせ木(稼ぎ)、いさぎよ木(潔き)、しんぼうつよ木(辛抱強き)、ついえな木(潰え無き)、養生よ木(養生良く)、かないむつまじ木(家内睦まじく)」と呼応したとか、そうじゃないとか。
嫁さんを幽閉した忠興に「家内睦まじく」とか言われてもね、とか言ってはいけない。鬼の旦那に蛇の妻。ああいう愛のカタチやも知れん…。
再度拝殿の脇を通り…
唐門の蟇股に彫られた鳥がスズメなのかウグイスなのか悩みつつ下山します。
神庫
五重塔跡
かつてはここに3代将軍家光によって建立された高さ30mの五重塔がありました。が、明治の廃仏毀釈で破却されました。石碑の後ろの朝鮮蘇鉄は駿府城本丸から移植されたものです。
家康38歳の時の手形。長さは私とほぼ同じだけど、手のひらが大きかった。
勘助井戸(左)と旧宝物館(右)
下山途中で再度海を眺めつつ…
山麓に戻ってきました。
駐車場手前の売店でイチゴシェイクでエナジーチャージ(むしろカロリーオーバー。でも激うま)
参拝の所用時間は、イチゴシェイクを飲む時間も含めて1時間15分でした。1,159段の石段は左程大変じゃないです。膝が悪かったり、サンダルとかハイヒールだとしんどいかもだけど。景色も良いし、野生動物が見られたり(この時はタヌキを発見)するので個人的にはお勧めです。
では次の目的地・駿府城公園へ向かいます。続きはこちら☆
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