その4↓の続きです。
今回のGPSログ(ルート)はこちら↓

当日のデータ:(2022/12/30)
所要時間と距離 2時間1分(休憩7分)、累積距離5.6㎞、累積標高201m
天気 晴れ
気温 7~11℃
湿度 48~40%
鎌倉駅スタート/北鎌倉駅ゴール
その2-1は鎌倉駅から亀ヶ谷などを経由し建長寺まで。
再び、鎌倉駅にやってきました
八坂神社(相馬天王)
千葉常胤の次男、相馬師常が鎌倉屋敷に守り神をお祀りしたことが、こちらの神社のはじまりです。師常は源頼朝の挙兵に、父・千葉常胤と共に参戦、頼朝の弟・源範頼に従軍し各地を転戦しました。父の死後、出家し法然の弟子になったと伝わっています。
源氏山 石碑
標高93m、現在は源氏山公園として整備されています。山の名前の由来は、源頼義・義家父子が奥州遠征の折、源氏山の頂に白旗を立て戦勝祈願をしたとか、代々源氏の屋敷があった、とか。北鎌倉、大仏へ抜けるハイキングコースがあるそうな。一部(知らずに)歩いてるかもだけど、通しで歩いてみたいです。
寿福寺(亀谷山寿福金剛禅寺)
正治2(1180)年に北条政子が頼朝の父・義朝の旧邸跡に明菴栄西を招いて開いたお寺さんです。境内裏手の墓所に、北条政子、源実朝のお墓があります。
「鎌倉同人会 生誕800年記念 源実朝を偲ぶ」碑。揮毫は日本画家の平山郁夫さん。
立正山 護国寺
日蓮正宗のお寺さんです。モダンな本堂は富士山をモデルにしたとも、伏せた蓮の花を模したとも。お寺さん手書きの説明がなかなかツボでした。
ちなみに、日蓮正宗の総本山は大石寺。水戸岡デザインのロープウェイがオシャレな身延山(久遠寺)は日蓮宗。似てるけど一寸違う。
扇谷上杉管領屋敷迹
あの越後の龍の遠い祖先にあたります。北国の武将のイメージですがちょっと前の時代は関東一円を治める関東管領を世襲で務め、それ以前は都の公家でした。
岩船地蔵堂
頼朝の娘・大姫の守本尊とされる石造地蔵尊(岩船地蔵)をお祀りし、大姫を供養しています。大姫と義高のエピソードは何度聞いても目から汁が出る…。厳しい時代だわ。
鎌倉七口のひとつ、亀ヶ谷坂に到着
仁治元(1240)年に北条泰時が開削したという説がある扇ヶ谷と山ノ内をつなぐ切通しです。切通しってのは、山や丘などを部分的に開削して人馬が往来できるようにした道です。
このあたりは泥層の地層なのね(逗子層という泥岩と砂岩薄層の互層だそうです)
六地蔵
あっという間に下り…
第六天社
建長寺の四方鎮守の一つで、南の方角を護っています。ありがたい説明はこちら。字面だけ見て「信長!?」と思ったけど、そうじゃなかった(笑)
普段は閉門していて、元旦と例大祭(7月15日~22日)の期間のみ開いているそうです。ミステリアスな神社だわね。
けんちん汁の巨福山 建長寺に到着(雑な覚え方)
総門の右手で拝観料(ひとり500円)を支払い境内へ進みます。
大きな山門!!
門を通ってみたけど、私の心は相変わらず煩悩まみれです。執着を手放せる日は…多分来ない…。
鐘楼
明治28(1895)年9月、夏目漱石が「鐘つけば銀杏ちるなり建長寺」と詠み、同年11月に正岡子規が「柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺」と発表。
今や、法隆寺のほうが知られているとか何だかな。ところで、漱石と子規は親友だったといわれているけれど、漱石の回想を読むと、相手が病人だから優しくしてたとしか思えない(苦笑)
柏槇(和名は伊吹)
蘭渓道隆が中国から持ってきた種を建長寺開山のときに蒔いたものと伝わっています。推定樹齢760年ですってよ!
仏殿
現在の仏殿は、正保4(1647)年に芝・増上寺の崇源院(お江。徳川秀忠の正室)の御霊屋が移築されたものです。
仏殿内部
仏様の上部分が折上格天井になってます。漆などが大方剥げてしまっているけれど、塗りなおしたら目に眩いことでしょう。これはこれで、鄙びた味わいがあって素敵だけど。
お寺さんの履物が中華風だねー。カワ(・∀・)イイ!!
おっ様の履物は雪駄(もしくは藁草履)かと思っていたけど、靴もあるのねー。そういや、先日職場で「雪駄を履いてたよー」と話したところ「え、セッタって何?」と聞き返されました…。えぇ( ;´Д`)
法堂 内部の天井画
建長寺創建750年の記念に小泉淳作氏によって描かれました。
愛知万博のパキスタン館に展示されていた釈迦苦行像(国宝を模して造られたもの)
万博終了後、仏縁によって建長寺に祀られることになりました。
そういや、インド館に展示されていた仏像は犬山市牛岩の愛万博寺の本尊になったね(愛万博寺は建長寺と並べて書くことを許されるお寺さんと思えないけど…(苦笑))
唐門
寛永5(1628)年に崇源院の御霊屋の門として増上寺に建てらえたものです。正保4(1647)年、仏殿、西来門と共に建長寺に寄附されました。
門の部分アップ
極彩色にせず、黒と金でカッコいいねー
方丈(龍王殿)
本来は住持の居住スペースですが、今は坐禅、法要、研修などに使われています。
得月楼から見たお庭。
蘭渓道隆の作庭だそうです。
半僧房方面に進みます。
長くなったので記事を分割します。続きはこちら☆
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