[旅]高田城を見に行こう!(新潟(2022年11月)その3)

1泊2日で新潟に行ってきました。1日目は北陸道経由で上越、越後湯沢で投宿、2日目は長野まで国道117号線、その後は長野道経由で帰ってきました。スケジュールは、1日目が春日山城址、高田城址、清津峡、湯沢で宿泊、2日目は毛渡沢橋梁、越後湯沢駅、三国街道塩沢宿、長野で松代象山地下壕に立ち寄ってから帰宅しました。 

その2↓の続きです。
 

春日山城址を後にして高田城へ。
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…の前に、軍ちゃんでお昼ご飯。

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家人注文の海鮮丼(並)
お刺身別盛、珍しいねー。

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たたき丼
魚も米も激うま!!

ほどなく、高田城址公園に到着。道すがらはお寺さんがいっぱい。城下町っぽい!
何となく指示通り走り、よく分からないまま気付いたら丸の内まで侵入していました(苦笑)
駐車場に車を停めて…
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平成14(2002)年に復元された極楽橋を渡り…

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本丸跡に到着
慶長19(1614)年、松平忠輝(越後少将家)の居城として、水害に脆弱だった福島城に代わり築城されました。天下普請のこの工事、音頭を取ったのは忠輝の当時の舅・伊達政宗でした。当時、とわざわざつけた理由は、元和2(1616)年に忠輝は兄・秀忠によって改易、妻・五郎八姫とは離縁し、姫は仙台に呼び戻されたためです。
初っ端から験が芳しくない(失礼)このお城は、その後の城主も曰くつきの面々ばかりで、如何ともしょっぱいお城のまま維新の廃城を迎えます。

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極楽橋本丸側橋台石
この上に橋が乗っていました。アバットと言ったほうが分かりいいかも。

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平成5(1993)年に復元された三重櫓
内部は資料館、展望台になっています。歴代城主の略歴を読んで、その味わい深すぎる人生模様に震えました…。乱世で輝くタイプは太平の世では敬遠され気味なのでしょうかねえ。

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戊辰戦争に勝利した仁和寺宮が会津から京都へ戻る前、高田城で使ったかわらけ
北国は佐幕(奥羽越列藩同盟)じゃなかったっけ?と調べてみて、これまた微妙な気持ちになりました。哲学は人それぞれなので難しいな…。
いやまあ、蝙蝠になって生き存えるのも賢さのうちかもね。

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最上階は展望室
右端、赤い矢印のところが春日山城址…だと思うー。

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火打山(赤い矢印で示したところ)
妙高と糸魚川にまたがる標高2,462mの頸城山塊の最高峰です。

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お堀を望んだところ

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普段見ているお城と何か違うのよねー…としばし考えて発見。石垣がないのね。
土留めで基礎が保もたれる地質なのかしら。もしくは、石垣を組んじゃうと雪が隙間で凍結、膨張して石垣を破損しちゃうのかしら。でも石垣が多用される西のお城も冬は雪が降るしなあ…。

すぐ隣の上越市立歴史博物館も気になるし、まだまだ見れていない箇所もあるけれど、時間の都合で次の目的地・清津峡へ向かいます。
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