全体のルートは、奥の細道むすびの地記念館もしくは大垣駅集合→笹尾山→開戦地→島津義弘陣跡→家康最後陣地→烏頭坂→琳光寺→奥の細道むすびの地記念館もしくは大垣駅で解散。
その1は、大垣城→笹尾山→開戦地・小西行長陣まで。
集合はJR大垣駅南口付近。
昨年10月の中山道ウォーク(赤坂~垂井)以来、1年ぶりの大垣駅です。
駅スタート/ゴールで散歩するのも楽しそうねー。
ここからは観光バスで移動。
まずは大垣城
来てみたかったので、今回のルートに入っていて幸運でした。
さて大垣城。天文4(1535)年、宮川安定によって築城されました(明応9(1500)年、竹腰尚綱の築城という説もあります) その後、氏家卜全によって改築、慶長元(1596)年に伊藤祐盛によって天守が造成されました。
それから数年後の関ケ原の合戦では、石田三成の本拠地となり三成が関ケ原へ移った後も熾烈な戦いが続きました。しかし、西軍敗北が伝わると二の丸、三の丸を守っていた相良頼房らは東軍へ寝返ります。本丸を守っていた福原長堯(三成の娘婿)は籠城を続けましたが、兵の助命のため降伏、お城を明け渡しました。
いざ登城。石垣をよーく見ると…
時々、フズリナの化石が埋まってるのがあります。金生山の石だね!
天守からの眺め。
西方向、南宮山。
2023/03追記:南宮山、登ってきました。展望台でお弁当も食べたよー。記事はこちら。
同じく西向き、伊吹山
東を望むと金華山(岐阜城)
明治29年大洪水点
石柱後ろの細く水平に引かれたラインです。具体的な高さは、画像が荒くて見づらいけど「明治」の明と治の間くらい。後世に大水の被害を伝えるため、大垣の治水に尽力した金森吉次郎によって刻まれたとされています。
おあむの松(3代目)
山田去暦の娘・おあむ と両親が大垣城籠城から脱出する際、この松に縄をかけてたらい船に移ったそーな。
それにしてもさ、家臣が籠絡に乗って(というと過言だけど)脱出とか、三成人望なさすぎだろ。西軍の統制が取れてなさすぎ。
丑寅櫓
東門
東門の石垣には、ベレロフォンの化石が埋まってるそうな。再訪時に確認してみよー。
戸田氏鉄像(変なアングルになっちゃった…)
天正4(1576)年、三河国二連木(現在の豊橋)で生まれました。家康が三河にいたころから、近習として仕え、寛永121635)年7月に美濃大垣藩へ移封されました。のち、明治維新までの230年、代々戸田家が大垣を治めました。
笹尾山へバスで移動します。
到着しました。石田三成が陣を敷いた場所です。関ケ原の地を一望できる好立地…なのに。
馬防柵再現。いいねいいねー。
5分くらいで山頂(展望台)に到着。
関ケ原が一望できます。良い眺めー。
一通り説明を聞いたら下山。笹が多いから笹尾山だそうな。まじですか。
トイレ休憩の隙に笹尾山交流館へ。
廃校になった関ケ原北小学校の校舎を再活用した施設です。
軍事会議室
具足の着用体験もあります。小っちゃい子が着てて、めっちゃ可愛かった…(*´ω`*)
ちなみに冬期は土日祝のみの営業です。このあたりは、結構な雪が降るので12~3月は気をつけて…。
さて、お次は開戦地へ向かいます。
長くなってしまったので、記事を分けます。続きはこちら☆
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