今回のGPSログはこちら↓

(↑全体)

(↑羽黒駅から天道宮神明社の少し先まで)

(↑天道宮神明社から善師野駅まで)
当日のデータ:(2022/07/08)
所要時間と距離は1時間51分、累積距離7.8㎞、累積標高93m
天気 曇り
気温 31.5~30℃
湿度 54~64%
名鉄羽黒駅スタート/善師野駅ゴール
名鉄羽黒駅からスタート
(1533)
上街道、前回終了地点の朝日交差点。
交差点を左へ。
(1542)
長閑な集落を進みます。
(1542)
中電パワーグリッド・羽黒変電所
(1552)
隣は関電送配電・犬山送電センター
(1553)
合戦橋を渡ります。名前の由来は、小牧長久手合戦の八幡林の戦いから。
現在の羽黒八幡宮、忠魂社が八幡林古戦場跡地です。ここから2kmくらい南西へ行ったところ。八幡林古戦場(羽黒八幡宮、忠魂社)へ訪れた時の様子はこちら。犬山たび「羽黒コース」を歩こう!(2022年2月)ページ中程です。野呂親子の献身が泣けるー。
(1556)
分岐を左へ。
(1557)
道標を兼ねた馬頭観音が祀られています。台石に「右やまみち(山道)左きそみち(木曽道)」と彫られています。
地図で見ると、1kmくらい東へ進んだところで県道191号線と合流(味鹿交差点)、面白いのは、その先の集落の名前「石拾イ」。国境の峠の名前だわ。ちなみに、さらにその先、県道は犬山カンツリークラブの傍を通り、今井で直角に折れて可児・長洞へと続きます。こちらも旧街道っぽい感じ。
(1558)

(ナビの地図だとこんな感じ)
仏さまいっぱい。三十三観音かな。
(1559)
新郷瀬川支流・荒神川にかかる前原橋を渡ります。
(1602)
虫鹿神社の虫送り終焉の地。平安末期の武将・斎藤実盛を模した藁人形
篠原の戦いで、愛馬が藁に足を取られ討たれたことから、実盛がウンカ(稲虫)になったという伝承が日本中にあるそうです。
ウンカかあ。コオロギに似てなくもない…かな。いや別モンだな…(「むざんやな甲の下の螽斯」のキリギリスはコオロギのことらしい。そして、ことごとく昆虫なのね)
(1603)
前原交差点脇のお社と山神様
(1606)
前原交差点を渡ります。
(1606)
天道宮神明社
(1610)
立派な楼門!
「天道宮神明社楼門」として県文化財に登録されています。傍の説明によると、楼門の構造は入母屋造、桟瓦葺三間一戸(画像は扉が開いています)、高さ約8.1m、桁行約5.2m、梁間約3mの室町風。平成10(1998)年、道路拡張工事にあたり現在地へ移設。桟瓦葺だった屋根は、建造当時のデザインに近い銅板に葺き替えられました。
賛否あるかもだけど、檜皮葺っぽいのは桟瓦葺よりも銅板葺よねー。個人的には、銅板に葺き替えたのは英断だったと思います。
(1612)
戸の上部には、牡丹と蓮の彫刻(表裏で柄が異なります)、左右には平安、鎌倉あたりの武将の人形(誰なのかは不明)
(1612)
白雲寺廃寺跡
明治の廃仏毀釈で、新宮寺だった白雲寺は廃寺に処されました。
(1614)
(1615)
拝殿も立派!
その昔は入鹿村に鎮座してましたが、寛永9(1632)年の入鹿池造成にあたり、前原へ移住した村人たちによって当地へ遷座されました。当時は天道宮と呼ばれていました。明治になり、白雲寺が廃寺になったことで神明社と合祀され、現在の天道宮神明社となりました。
入鹿池造成による移転先って、私が思っていた以上、方々にあるのね…。考えてみれば、入鹿出新田(小牧)より、奥入鹿や神尾(尾張白山の北あたり)、前原のほうが近いしね。
(1615)
鶴棲山 福昌寺 本堂
こちらのお寺さんも、入鹿池造成にあたり約390年前、入鹿村から当地へ引越されて来られました。寺伝によると、約500年前、入鹿村に法智普光禅師(獨秀乾才。悟渓宗頓法嗣(弟子)の一人(悟渓下八哲))によって開かれたそうです。
(1621)
三十三観音
それぞれの前掛けにレース編みが縫い付けてあります。超カワイイし、オシャレ!
いやそれよか、すごい枚数だよ(驚愕)
(1622)
境内脇の御嶽神社、覚明行者像など。傍の石柱に「県道拡幅ニヨリ移築」とあるので、平成10(1998)年、先の天道宮神明社楼門の屋根が銅板葺に変わったのと同時期ですね。
(1622)
火袋、台石が新しい常夜燈
(1625)
建売住宅建築中の隅に、道標を兼ねた馬頭観音。光背に「右いまい(今井)左ぜんじの(善師野)道」と彫られています。
新しくお家が建っても、この仏様はこのまま此処にあってほしいなあ…。
(1626)
道なりに右へ、用水路にかかる橋を渡ります。
(1644)
ため池の横を通り…(振り返って撮影)
(1648)
護應山 清水寺
岐阜市寺町にある 金寶山 瑞龍寺(美濃守護・土岐氏菩提寺だったお寺さん)の末寺です。
(1704)
境内には古い石碑と…
(1704)
ここにも覚明行者像
(1705)
本堂
玄関梁に龍の彫刻が施されています。ぼんやりしてて気付かなかったわ…残念…。
こちらのお寺さんは寺伝によると、延暦24(805)年に坂上田村麻呂によって開かれたそうです。延暦17(798)年、田村麻呂が蝦夷征伐へ向かう途中の東山道・濃尾国境。三日三晩暴風雨により足止めされるも、宜空律師の祈念により天候が回復、軍馬を進めることができたそうな。蝦夷征伐の後、東山道沿いにいくつかの清水寺を建立した田村麻呂。そのうち、こちらの清水寺は、音羽山 清水寺(立派な舞台で知られる、あのお寺さん)の次に建てられ、相当な大寺院だったとか。さてそれから時代は進み、荒廃していたこちらのお寺さんを再興したのが、悟溪宗頓禅師。時は文明3(1471)年のことでした。さらに永禄、元亀と乱世で戦火を被り再度荒廃、再建された堂宇も天正12(1584)年の小牧長久手合戦で消失しました。時代は流れ江戸時代になり、再度の再興を得て今に至るそうです。
ちなみに、悟溪宗頓は先の福昌寺を開いた獨秀乾才のお師匠さんです。
(1705)
「右 いぬ山 左 なごや 道」道標
(1715)
尾張パークウェイの高架をくぐり…
(1717)
名鉄広見線
踏切を渡った先の分岐を右へ進むと…
(1721)
善師野宿方面。ですが、今回はここまでにしておきましょー。
(1721)
分岐のところにある天王社
(1721)
ありがたい説明
(1721)
次回はあの山を越えるのねー
(1723)
はい、おつかれー。
無事、善師野駅に到着です。
(1724)
上街道を歩こう![2] 犬山(羽黒~善師野)はこんな感じ。普段、車でビューっと通りすぎるだけの道も、歩く速度だと様々な発見があって楽しいねー。道中、清水寺では庫裡の方に回ったら、毛並みの良い猫たちがわらわらと寄ってきて猫天国でした。癒されたー( ´ ▽ ` )
さて、次回は上街道唯一の峠道、善師野から石拾峠を経て土田宿〜今渡の渡し跡まで歩きます。
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