そんな上街道(中山道に通じるため別名、木曽街道)、今回は稲置街道、上街道分岐の楽田追分から羽黒までを歩きます。
今回のGPSログはこちら↓

当日のデータ:(2022/06/20)
所要時間と距離は 59分、累積距離3.7㎞、累積標高15m
天気 曇り
気温 30℃
湿度 50~60%
名鉄楽田駅スタート/名鉄羽黒駅ゴール
楽田駅からスタート
(1521)
楽田追分
(1531)
ぎゅうぎゅうに追いやられている道標たち。
もうちょっと大事にしてあげてもいいのよ…(´;ω;`)
左:手前の道標「左犬山 右きそ みち」 右:奥の道標「左三光神(社)」5月より、若干草が減ってる…!
(1532)
石仏群とお社
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諸神諸菩薩とあるので切支丹慰霊かなと思ったけど、明和8(1772)年だから違うなー。
ってか、明和8年2月に何があったんだろ。
(1539)
(1540)
うる星やつらのチェリーみたいなお顔立ちです。「さだめじゃ!!」
(1540)
五里塚舊(旧)跡
ここから名古屋城三の丸・清水御門跡まで5里(20㎞)
春日井市上条町の臨済宗のお寺さん、寶(宝)雲山 泰岳寺の山門は清水御門が移築されたものです。
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神明社
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三十三観音さまかな。右には二十三夜塔の石碑も建っています。
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津島神社
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五条川を渡ります
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この時期(夏)は葉桜モサモサです(笑)
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羽黒地区コミュニティさんが設置くださった有難い看板
ちなみに、稲置街道バージョンは磨墨ふれあい広場駐車場傍に立っています。
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白藤山 観音寺 本堂
天平勝宝4(752)年、美濃国芥見ノ里に願成寺再建と当寺を含む12ヶ寺の伽藍を建立したことが始まりだそうです。その後も荒廃と繁栄を繰り返します。明治元年(慶応4(1868))年5月の入鹿切れで本堂を含め一切が流失、明治16(1883)年に地元信者有志らによって再建され現在に至ります。
(1601)
境内に鎮座する不自然に大きな石。説明がないけれど、入鹿切れで流れてきたやつかしら。
何せ、推定浸水髙 河北 約1丈余(3mくらい)(出典:羽黒水災記)、名古屋あたりまで水が来たらしいので、このくらいの巨石が流れてきてもおかしくないと思う(怖すぎだが…)
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「朝日」交差点
街道は真っ直ぐ、左へ進むと羽黒駅です。今回の街道ウォークはここをゴールとします。
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田中山 立圓(円)寺
お東のお寺さんです。めっちゃ立派…!
(1613)
本堂
明応8(1499)年、羽黒村内に田中寺として開かれたことが始まりです。その後、寺号を立円寺と改め、明暦2(1656)年、現在地に堂宇が移されました。
(1613)
はい、おつかれー。
無事、羽黒駅に到着です。
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上街道を歩こう![1] 犬山(楽田~羽黒)(2022年6月)はこんな感じ。本当は善師野まで頑張りたかったんだけど、蒸し暑さに断念…。
次回は、今回終了の羽黒駅から善師野駅までを歩きます。
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