今回のGPSログはこちら(全体)↓
当日のデータ:
所要時間と距離は2時間21分、累積距離6.8㎞、累積標高93m
天気 晴
気温 7~11℃
湿度 60~40%前後
名鉄有松駅スタート/有松イオンゴール
有松駅からスタート
(1116)
しばらく有松の古い町並みを進みます。
(1122)
鳴海・有松絞り会館
年末年始でお休み中でした。現在は土日限定で手ぬぐいの絞り体験ができるみたい。やってみたい!
(1122)
有松郵便局
東海道 石碑も建っています。
(1125)
手越橋を渡ります。欄干にはめ込まれている古地図が面白ーい!南区の半分くらい、港区のほぼ全域が江戸時代は海だったのね。
(1127)
釜ヶ谷
現在は桜花学園大学の敷地になっています。フェンス越しに眺めてニヤニヤする中年2人(女子大生がいなくて良かった。傍から見たらヤバい人達だ(笑))
(1139)
あの坂を信長が駆け上がった…らしい
(1139)
桶狭間古戦場公園(田楽坪)に到着
園内を一周すると桶狭間合戦のあらましが分かる優れモノ!
(1151~56)
ミニ信長壁
信長が戦勝御礼として熱田神宮に奉納した築地壁のミニチュア
駿公墓碣(今川義元のお墓)
昭和28(1953)年に偶然発見されました。
信長、義元像
…逆光で見え辛いったらありゃしない(笑)
義元が馬を繋いだ ねずの木
この木に触ると熱病にかかるという言い伝えがあるそうな。怖えぇ。
桶狭間古戦場田楽坪 石碑
揮毫は陸軍大将・松井石根。名古屋生まれですが、今川の家臣・松井宗信 (左衛門佐)の子孫です。
大池
旧暦5月17日の未明になると、池ほとりの戦評の松から大池に向かって、白馬に跨る義元の霊が出るという噂。見てみたくは…ない。KOEEEE!
(1203)
戦評の松(3代目)
義元家臣の瀬名氏俊が、この松の下で軍議を開いた言い伝えられています。先代の松は伊勢湾台風で枯れてしまい現在3代目だそうな。
(1208)
桶狭間神明社
社宝として、瀬名氏俊が戦勝祈願に奉納した酒桶が残っているそうです。
(1210~13)
拝殿
天照大神がお祀りされています。境内には熱田社、天満社、金刀比羅社、御鍬社など13の末社が祀られています。
尾張4代藩主・徳川吉通が知多巡行で植えた杉。
徳川吉通は、文武両道、政に優れ名君の誉れ高かった殿様です。
そんな吉通ですが、その最期は随分特殊で生母・本寿院との食事の後、突如吐血し翌日に亡くなっています(享年25歳)
不審なくだりを、よしながふみ先生の「大奥」7巻で読んだような記憶(随分前なので間違ってるかも)
和光山天澤院長福寺
西山浄土宗のお寺さんです。
(1217~26)
本堂
今川義元首実検の地 石碑
義元の茶坊主だった林阿弥が、ここで主君・今川義元や家臣たちの首実検を命ぜられました。その後、帰郷が叶った林阿弥ですが、追善供養として当寺を訪れた際、持参した阿弥陀如来が現在の本尊とされています。
合戦供養塔
弁天池(放生池)
江戸の史料には「血刀濯ぎの池」として合戦の武具を洗った池として記されています。
瀬名氏俊陣地跡
今川軍の先発隊として間諜、陣地の設営などを行いました。桶狭間での合戦時には大高城へ向かっていたため、戦には参加しませんでした(没年不明)
(1226)
おけはざま山。今川義元本陣
人様のお家の一角です(笑)
もともと独立峰ではなく、当時の大脇村と桶狭間村の境界にある一帯の丘陵部のことを指すそうです。信長は釜ヶ谷からここを目指し、義元は古戦場公園辺りまで攻め込まれた末、討ち取られました。
(1232)
七ツ塚を見に行きます。これまた、めっちゃ人様の敷地っぽい…。
(1240~41)
今川軍の戦死者を弔うため、7つの塚が造られました。が、現在残っているのはこの1基のみ(しかも、今や塚でもねーし)
地蔵池
(1247)
池の畔には地蔵堂
(1248)
有松に戻ってきました。
中濱家住宅。蔵(手前)と母屋
江戸末期から絞問屋を営んでいました。
(1302)
愛知県道237号(新田名古屋線)を渡ります。
(1311)
唐子車山車庫
毎年10月第1日曜日に行われる有松天満社祭礼(有松祭り)で曳かれる山車が収まっています。
(1314)
奥のほうに見えるチューブみたいなのは、名2環の高架
(1316)
河竹小路
富田靖子さんのデビュー作「アイコ16歳」のロケ地として使われました(作品を観ていないので、物語の内容がわかりません。ごめんなさい)
(1316)
電線類地中化が施されているので空がすっきりしてるねー。
(1318)
東海道五十三次 二代目松
東海道開通当時からあった松が昭和55(1980)年に枯れてしまい、初代の松の種から育てられた苗木が2代目として植えられました。
さすがに、古代東海道ではないと思うので慶長年間制定の東海道だと思うけれど、だとしても樹齢300年。じっとこの場で、江戸幕府開府から明治維新、先の大戦など数多のできごとを見守り続けたのねー(と言っても、植物だけど)
(1319)
梅屋鶴寿の碑「あり松の柳しぼりの見世にこそ しはしと人の 立ちとまりけれ」と彫られています。
梅屋鶴寿(うめのや かくじゅ)は江戸末期の狂歌師、尾張藩御用達の秣商(秣とは馬の餌のこと)で、パトロンとして歌川国芳を亡くなるまで支え続けました。国芳といえば、猫と妖怪よねー。
(1319)
祇園寺・本堂
曹洞宗のお寺さんです。
(1320)
有松一里塚
江戸日本橋から87里め。大正13(1924)年に民間に払い下げられ、長いこと損壊していましたが、平成24(2012)年、名2環整備にあたり再現されました。
(1321)
1基でなく、両塚再現されています。いいわねー。
(1321)
有松天満宮へお参りに行きましょう。
(1324)
幟が有松絞で作られています。とても素敵!
(1324)
天神さんといえば、ウシとウソ
(片仮名で書くとインチキくさいな…)
(1329)
立派な拝殿!
(1330)
この後、適当に新しい道を進んだら有松駅隣接のイオンに到着しました。駅直結で便利ね。
イオン有松店をゴールとします。はい、おつかれー。
桶狭間古戦場と有松さんぽ はこんな感じ。緑区、のんびりしてて良いところでした。有松の一部分のみと言え、東海道を歩けたのも嬉しいです。
さてそれから。桶狭間は、緑区だけでなく隣の豊明市にも同じ地名があり、こちらも古戦場跡を謳っています。古戦場伝承地からすぐの高徳院には今川義元や、義元の家臣だった松井宗信(緑区の古戦場公園石碑を揮毫した松井石根の先祖)のお墓も残っていますし、藤原義行築城とされる沓掛城は、義元が戦評を行った場所として伝わっています。豊明の桶狭間もいつか訪れてみたいです。
さて次はどこに行こうかな。
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