その1は、大曽根駅から下街道起点・伝馬町札の辻まで。
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当日のデータ:
所要時間と距離は4時間40分、累積距離10.4㎞、累積標高22m
天気 薄曇り
気温 6~7℃
湿度 55~60%
JR大曽根駅スタート/地下鉄市役所駅ゴール
大曽根駅からスタート
うっかり南口へ出てしまい、初っ端から結構な距離を戻ることに…。
(1105)
下街道 道標
E6出口階段付近にひっそり建っています。
(1111)
ありがたい説明
(1111)
下街道に沿って、商店街になっています。この日は、オレンジリボン運動のイベントが行われていました。児童に限らず、虐待ダメ。ゼッタイ!
ロバのパン屋さんも来てました!(*´▽`*)チンコロリン♪
(1115)
名古屋大曽根局の風景印にも採用されているオズモールの標識
(1120)
名鉄瀬戸線・森下駅の前を通過し、国道19号に沿うように左折します。
(1123)
善行寺
お東のお寺さんです。
(1132)
赤塚神明社
天照大神を主祭神に、天神社、山神社、須佐之男神社、八幡社、金比羅社、秋葉社、大楠公(湊川神社)の七つの末社もお祀りされています。
神社のパンフレットによると「創建は大変古く不詳」とのこと。
(1135)
東区最大の灯籠(1基しか写っていませんが、対で残っています)
昭和3年11月の御大典記念に、大鳥居と共に奉納されました。
赤塚交差点を渡ります。画像右の茶色い建物の裏を進みます。
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表具屋さん(左)と和ろうそく屋さん(右)
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薬碑
傍らの案内によると、彫られている文字は、
右:あかなべ(屋号) はらくすり(腹薬)
中:せんき(疝気) せん しゃく(癪)の薬
玉丹 コレイキ散(コレイキ=疝の蘭語)
左:なかぢ しらぢ の大妙薬 たいどく(胎毒) ねぬきのくすり
で、明治の頃は、名鉄小牧駅前の街道(上街道)沿いで薬やを営んでいた「鎌薬」の看板として建っていたものだそうです。
(1148)
平田町交差点を渡ります。
鍋屋町通り(現在の東区泉)を西へ進みます。
通りの名前の由来は、鍋職(鋳造業)が多くいたことから。後述する旧大津町同様、家康の清洲越しで、町ごと清須からやってきました。
通りの角にある道標
右(指差マーク) 京 大坂 左(指差マーク)善光寺道
と彫られています。
(1154)
弘法様かな…?
(1154)
松嶋山円明寺
延宝3(1675)年 に伊勢国長島から当地へ移った、お東のお寺さんです。
(1156)
石鐘
戦時中の金属供出で、梵鐘の代わりとされました。戦後、銅鐘に掛けかえる計画が上がりましたが、慙愧のため現在でも石鐘のままなのだそうです。
(1157)
松山神社・本殿
地域の氏神様です。
(1159)
紫金堂
尾張藩御釜師・加藤忠三郎が興した屋号です。現在はご子孫が鋳物のギャラリーを営んでいます。現在13代目だそうな。すごい!
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喫茶ボンボン
昭和レトロな佇まい。変わらないねー。いいわねー。
(1206)
久屋大通まで来ました。テレビ塔
あ、今はネーミングライツで中電ミライタワーでしたな。
(1216)
素敵建物発見。行ってみましょう。
交差点の角に建つ「丸の内3 旧大津町」道標
さきの鍋屋町同様、清洲越しで…(以下略)
(1219)
交差点の向こうから見た素敵建物に到着。
名古屋の超老舗製薬会社・伊勢久さん(現在は総合化学メーカー)
宝暦8(1758)年に、初代が伊勢屋久兵衛として創業したことから「伊勢久」の屋号になりました。
(1220)
隣は愛知県庁大津橋分室
(1221)
内部もアールデコ調で素敵ー。
(1222)
黒川紀章のお父さんの設計だそうな。というか、黒川紀章って愛知生まれだったのね。
(1224)
1階は、愛知・名古屋 戦争に関する資料館として公開されています。
防衛食
陶製の缶詰です。開封するときは、蓋のくぼみに孔をあけて通気します。
一説には、中に詰める食糧も不足していたとのこと。辛いなー…。
戦時債権
各務原空襲資料室を見学した時の記事にも書きましたが、こうして展示されているということは紙くz…(略)
ちなみに、今現在、この債権を握りしめて財務省に駆け込んでも消滅時効が成立しているので換金できません。
山本五十六揮毫の軸
日常の生活には、あまり支障のないことだけど、ブーゲンビルがソロモン諸島かパプアニューギニアか、いつも迷うのよね。ガ島も。
(ブーゲンビル島はパプアニューギニア、ガ島(ガダルカナル島)はソロモン諸島です)
(1231)
第3師団パネル展示
戦前名古屋城内に、陸軍第3師団(名古屋鎮台の後身)が置かれていました。現在の守山駐屯地、春日井駐屯地の前身です。
焼夷弾で焼けた床板
焼夷弾尾翼
少彦名神社
医薬と農業を司る神様です。このあたりに製薬会社が多いのはそのためなのねー。
(1241)
中日病院前の新しい道標
東 ぜんこうじみち 西 みのじ 南 あつた 北 おしろ
と彫られています。「北 おしろ」いいね!
(1245)
街道から少し寄り道、桜天満社、時分鐘
織田信秀が北野天満宮から勧請し、那古野城(昔の名古屋城)に祀ったことが始まりだそうです。
拝殿
(1254)
尾張名所図会に描かれた時分鐘
本町通、伝馬町交差点。下街道起点、伝馬町札の辻に到着。
(1256)
尾張名所図会に描かれた伝馬会所 札の辻
下街道起点を示すものは、こちらのプレートだけ(笑)
目印はマセラティやさん(表現がひどい)
(1256)
下街道を一寸戻って、名古屋城を目指します。
道すがらのインドカレー屋(ウッタムカレー)さんでお昼にしましょう。
日替わりカレー
カレーはマイルドで美味!ナンはめっちゃボリューミーでした。
お城はもうすぐ!
その2へ続きます。こちら☆
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