その1では、細久手宿大黒屋さんから街道途中の十本木立場跡、謡坂十本木一里塚跡、広重の「木曾海道…御嶽」に描かれた十本木茶屋(跡地)まで。
今回のGPSログはこちら(全体)↓
↑細久手宿大黒屋さんから市境まで
↑市境から十本木茶屋跡まで
当日のデータ:
所要時間と距離は3時間45分、累積距離12.6㎞、累積標高301m
天気 晴
気温 9~11℃
湿度 40~35%前後
細久手宿大黒屋さんスタート/名鉄御嵩駅ゴール
JR瑞浪駅で下車。細久手公民館まではデマンドバス・いこCarを利用しました。
改札を出て左に進んだところがデマンドバスの乗り場です。
(1045)
コミュニティバスの乗り場よりも更に向こう。トイレの前、黄色いタクシーが停まっているところ。
(1045)
今回利用させてもらったデマンドバス。行こCar
運行は平日のみ、前日までに要予約ですが、タクシー並の快適さで500円です。ありがてえ!
(1048)
細久手公民館(大黒屋さん対面)でデマンドバスを下車。
さあ歩くよ!
(1103)
大黒屋さん
細久手宿問屋、尾張藩本陣を勤めていました。現在も旅館として営業中の貴重なお宿。
(1105)
本陣跡
代々小栗八郎右衛門が務めました。
(1106)
細久手坂の穴観音(九万九千日観音) 脇道の坂を登ったところにあります。
観音の日にお参りすると、9万9千回参拝したことになるそうな。
今回の中山道ウォークで印象的だったのが、このような石窟が多くあったこと。興味深いわー。
(1113)
津島神社
(1115)
旧中仙道くじ場趾 小沢平城 石碑
その昔、ここに茶屋があり、人夫たちが荷役の順番をくじで決めました。くじ引きなら比較的公平でいいね。
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福島安正馬水池
福島安正は、長野県松本生まれの陸軍軍人、旅行家です。明治25(1892)年ベルリンからウラジオストクまで1年4ヶ月をかけて単騎で横断し、シベリア鉄道の建設状況を視察したことで知られています。
(1123)
平岩辻 「南 まつのこ(松野湖) おに岩(鬼岩) 西 つはし(津橋) みたけ道(御嵩道)」道標
(1125)
右角に「中仙道西の坂」の石碑が建っています。
ここからしばらく未舗装。「注意 熊出没 caution bear」…クマ鈴装着(`・ω・´)
(1128)
秋葉坂の三尊石窟
明和5(1768)建立の馬頭観音、明和7(1770)年建立の千手観音などが石窟に収められています。大事にされてるー。
(1130)
鴨之巣道の馬頭文字碑
(1132)
鴨之巣辻の道祖神碑、右旧鎌倉街道迄一里余 道標
(1138)
中山道ハム 案内看板
瑞浪の豚肉は美味しい。肉が美味けりゃ腸詰もさもありなん。…気になるけど次回にしましょう。
(1138)
切られケ洞
その昔ここで、牛追いが盗賊に切られたのだそう。山中で襲われるとか物騒だなー…。
(1143)
鴨之巣一里塚
江戸日本橋から93里目。地形の関係で斜に置かれています。
(1149)
瑞浪市日吉町、可児郡御嵩町境
(振り返って撮影(御嵩町側から))
(1151)
どんどん進むよー
(1159)
…小屋跡?
(1201)
馬頭観音
(1203)
山内嘉助屋敷跡(振り返って撮影)
立派な石垣が残っています。当地で酒造業を営んでいました。
(1206)
天満宮常夜灯
(1210)
県道65号線を横断、こちらの細い道を進みます。
(1223)
西国秩父坂東百番供養塔
(1225)
氏神様(ズームで撮影)
(1226)
廃墟…?
(振り返って撮影)
(1237)
物見峠・馬の水飲み場(跡)
画像のような枯れた窪みが3か所くらいありました。上の画像が一番分かりやすい状態でした。
なので、単なる土砂流出跡の可能性も否めない…(苦笑)
(1242)
東邦ガスの森 みたけ
岐阜県の推進する「企業との協働による森林づくり」の一環だそうな。
(1242)
整備完璧なトイレ。ありがてぇ。
(1243)
御殿場跡
和宮降嫁の際、ここに休息用の御殿が建てられました。
(1243)
階段を登った先には、休憩用の東屋が建っています。
東屋からの眺め。
(1244)
辛うじて恵那山
(1244)
本日のお楽しみスポット。森のケーキやさん「ラ・プロヴァンス」
(1249)
コミュニティバスのバス停にもなっています。ここまで車で来られるので、結構な賑わいっぷりです。
歩いてくる人が珍しいのか、お一人さまが珍しいのか分からないけど、先客マダムたちに「小汚いBBAが一人で来た…」みたいな顔をされました… (・_・。)
レアチーズケーキとコーヒーでエナジーチャージ!
残り半分、さあ歩くよー。
(1253)
唄清水 音符マークがかわいいよねー♪
「生水での飲用不可」とのことだけれど、沸かしても、できれば遠慮したいかな…(失礼)
(1309)
旧善知鳥村民家(何に使われている建物かは不明)
(1312)
一吞清水
和宮に絶賛され、のちの上洛の際、多治見永保寺での点茶にも使われたそうな。
その謂れゆえかは分からないけれど、岐阜名水50選のひとつに選ばれています。ちなみに、この50選、
そのままで飲用が可能かどうかという点については、考慮されておりません。とのこと。昔の人は、そのまま飲んじゃってたかもだけど現代人は飲用不可。
(1312)
仏像が2体奉納されています。
(1313)
十本木立場跡
(1315)
左の脇道(いろは茶屋の看板があるほう)に入ります。
(1315)
謡坂十本木一里塚
江戸日本橋から94里め
(1317)
広重の「木曾海道…御嶽」のモデルとなった場所。
きちん(木賃)宿とは、客が薪代を払って自炊、もしくは持参した食材で調理をしてもらう宿のこと。基本は雑魚寝なので、旅行用心集にも「各々持ち物の管理には注意しろ」と書いてあります(この本に書いてある「旅の心得」は随所で現代にも通用します。読んで損なし)
(1318)
現在は、いろは茶屋が営業中。
屋外にも休憩できるスペースがあって、街道ウォーカー、サイクリストにはありがたいねー。
(1318)
御嶽宿へ向けて、どんどん進むよ!
続きはこちら☆
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