その2では、家康最初布陣地の少し先から今須峠手前の常磐地蔵まで。
その1↓の続きです。
今回のGPSログはこちら↓
↑家康最初布陣地から常磐地蔵まで
町内の至る所に武将の幟が立っています。超たのしい。
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関ヶ原町非公認(笑)無料休憩所
有志のボランティア、ありがたいですね。
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地元のおじちゃんに柚子を貰いました。わぁい(*´▽`*)ありがとう!
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馬頭観音
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若宮八幡神社
(1134)
七つ井戸跡
(1141)
関ヶ原駅と観光案内所に寄り道
(1142~50)
東首塚も気になるけれど…次の機会に
(1152)
202310追記。松尾山に登るついでに、東の首塚を見てきました。
八幡神社
関ヶ原の合戦で焼失しましたが、のちに家康が再建しました。
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社号標の揮毫は、何もせんじゅうろう先生(ひどい言われようだ…)
(1154)
本陣跡。
神社の一角に看板とスダジイが植わっています。
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宗徳寺
欧州の城みたいな門構えですが、お東のお寺さんです。
(1157)
大神宮常夜灯
この辺りが、関ヶ原宿の西端です。
(1201)
西首塚
関ヶ原の合戦(緒戦なども含む)で動員した兵は東西合わせて約15~18万人。うち、戦死者は東軍で約8,000~30,000人、西軍で約4,000~10,000人にも上りました。
(1202)
月見の宮・福島陣跡一丁 石碑
ここから南東へ110mくらい進んだところにある春日大社を示しています。関ケ原合戦で福島正則(東軍)が布陣しました。
(1207)
道路に消雪パイプが埋まっています。豪雪地なのねー。
(1207)
美濃不破の関 東山道と東城門跡
(1208)
不破関庁舎跡、大海人皇子の兜掛石、沓脱石を見に行きます。
よそ様の敷地みたいなところを進みます。緊張したわー。
(1210~11)
兜掛石
説明看板と庇がなかったら、多分気が付かないでしょう(笑)
(1211)
沓脱石
説明看板…(以下略)
壬申の乱で大海人皇子が履物を脱いだ時に足を掛けた石です。慶長年間の関ケ原合戦から遡ること一千年弱、西暦でいうと672年、飛鳥時代ですかね。1500年も前の石が伝承されてるとかスゴイ話だよ…。
(1211)
不破関跡
東海道の伊勢鈴鹿関、北陸道の越前愛発関(愛発=あらち)とともに、古代律令制度下の三関のひとつです。
(1213)
左 旧中山道 右 中山道 石碑
(1214)
不破関資料館
展示が気になるけれど、今回は先を急ぎます…。
(1215)
ピースプレイ不破の関
ここで言う、ピースプレイは「平和の祈り(peace pray)」のほうよね(それでも不思議な文法だけど…)
(1216)
旧街道に戻ります。
戸佐々神社
このあたりに、不破関西城門がありました。
(1218)
小さな祠がお祀りされています。
(1218)
藤古川にかかる藤下橋を渡ります。
壬申の乱では、大友皇子と大海人皇子(後の天武天皇)がこの川を挟んで対峙しました。その後、関ケ原合戦では大谷吉継(西軍)が上流右岸に布陣しました。
(1219)
山中村の立場跡
旗本竹中氏の知行地として高札場(もう少し西)が置かれ、間の宿として酒造業をはじめと数十件の商人が営んでいました。
(1227)
若宮八幡神社
壬申の乱で敗れた大友皇子(弘文天皇)がお祀りされています。
(1229)
山中村高札場跡
ちなみに上の用水は枯れてました。冬だからね…。
(1231)
黒血川(下流側)
壬申の乱による、両軍の流血で川底の岩石が真っ黒に染まったことが由来だそうです。KOEEE((((;゚Д゚))))
(1233)
鶯の滝
平坦地なのに落差5mもあります。柳ヶ瀬・関ヶ原断層帯の一部かしらね。
ちなみに、これ以上滝には近づけません(橋の上から撮影)
(1234)
滝の対面には三地蔵
(1234)
東海道新幹線、東海道本線交差
在来線が新幹線の上を走っています。
(1234)
新幹線の高架をくぐります。
米原はJR東海の管轄なのね。西日本管区かと思ってました。
(1235)
見真大師
光背に「右 聖蓮寺道」と彫られており、道標も兼ねています。ちなみに「見真大師」とは親鸞を指します。
(1239)
常磐地蔵
この地で賊に殺められた常磐御前を弔うため、村人によって安置されました。源義経(牛若丸)は東国から上洛する際、地蔵に亡き母の冥福を祈ったそうです。
義経と言えば、来年の大河で菅田将暉さんが演じられますね。野村宏伸といい、タッキーといい、義経はイケメンしかできない役なのね(笑)
(1240)
東海道本線のトンネルを眺めつつ、今須峠に向かいますよ。
(1248)
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