その1は、スタート地点・東赤坂駅から、街道途中の兜塚、廃線跡まで。
今回のGPSログはこちら↓
↑全体のログ
↑東赤坂駅から兜塚、廃線跡まで
当日のデータ:
所要時間と距離は2時間29分、累積距離8.3㎞、累積標高48m
天気 晴
気温 22℃
湿度 40%前後
大垣駅スタート/ゴール
往路:養老鉄道/4.5㎞/260円
復路:JR東海道線/8.1㎞/200円
前回終了地点、東赤坂駅で下車。右手方向へ。
さあ、歩くよー。
(1243)
白山神社
(1251)
池尻一里塚跡
白山神社の角に石碑と看板が建っています。
(1252)
多賀神社
(1257)
中山道、美濃路追分 道標
(1259)
杭瀬川にかかる赤坂大橋を渡ります
(1259)
赤坂宿に到着
(1303)
赤坂宿御使者場跡(東)
江戸時代、偉い人(大名とか、公家とか)が来るとここでお出迎えしました。
さぞ緊張感の漂う空間だったことでしょう…。
(1305)
火の見櫓
(1305)
赤坂湊
最盛期には1日500艘の船が往来したそうです。すごいわね。
(1306)
赤坂湊会館
その昔は、警察屯所として使われていました。現在は赤坂湊の資料館として土日、祝日に公開されています。
(1307)
会館の隣は浅間神社
(1308)
西濃鉄道・本町踏切を渡ります。
金生山産出の石灰を運ぶ貨物線です。
(1311)
赤坂宿本陣跡
(1312)
所郁太郎 銅像
俗論派に襲撃され瀕死の井上馨(当時は多聞)を畳針で縫合し命を救った、幕末の志士です。
(1312)
旧清水家住宅
江戸時代には「米佐」の屋号で米屋を営みつつ町役人も勤めていました。
(1315)
内部
(1316)
パンフレット(表)
パンフレット(裏)
中山道、谷汲街道、養老街道追分
画像左方向が養老街道、白い商用バンが写っているのが中山道
(1321)
道標「左 禅蔵寺」
禅蔵寺は美濃国守護の土岐頼忠が池田町に開いた臨済宗妙心寺派のお寺さんです。
(1321)
矢橋家住宅
矢橋家は江戸時代中期より明治維新まで、赤坂宿本陣を勤めていました。
(1322)
矢橋さんのお宅がずーっと続いています。立派ねー。
(1322)
脇本陣跡
宝暦年間から明治維新まで問屋、年寄役を兼務しつつ脇本陣を勤めていました。維新は近年まで榎屋として旅館を営んでいました。
(1323)
妙法寺
さきの林郁太郎の墓所です。ちなみに、郁太郎の死因は腸チフス、享年27歳。まさにtoo young to die!
(1324)
郁太郎生誕地…よりも気になる化石館
フズリナの化石が展示されてるらしいわよ。見に行きたいわー。
(1325)
赤坂宿御使者場跡(西)
兜塚の端に石碑が建っています。
(1330)
兜塚の碑と案内看板
杭瀬川の戦い(関ヶ原の前哨戦)で戦死した、東軍の野一色頼母が具足とともに葬られています。
(1330~31)
ここまでが赤坂宿。この先が街道です。
(1331)
平成18(2006)年に廃線となった、西濃鉄道昼飯線
南方向(養老方面)はレールが残っています。
(1331~32)
垂井に向け、さらに歩くよー。
その2に続きます。こちら☆
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