その2では、信玄塚、馬防柵、家康本陣跡、信長本陣跡(新東名設楽原PA・ふらっとパーク)などです。
その1↓の続きです。
信玄塚
資料館から歩いて行けます。
上:閻魔堂、別所街道道標
下:石造閻魔大王坐像
閻魔大王坐像は江戸時代、旗本設楽弾正に仕えた後、仏道に入った空道和尚の作と言われているそうです。
また、別所街道は豊橋市(起点・吉田城)から、東栄町(旧名・別所)までを結ぶ街道です。
信玄塚・大塚
武田軍が祀られています。
信玄塚・小塚
こちらは、織田・徳川連合軍が祀られています。
愛知県、新城市両無形民俗文化財として指定されている、火おんどりは信玄塚に大発生した蜂が武田の亡霊に見えたことから、弔いとして始まったそうです。里山の肉食蜂というと、クロスズメバチかオオスズメバチだと思う。スズメバチの大量発生とか震える。怖すぎ。そりゃ、松明を振り回したくもなるわー。
小幡信貞と小幡隊兵士の墓
同じ上州安中隊とともに、最前線で戦いました。
資料館前の市道法面には、鉄砲隊と火おんどりのレリーフが貼られています。
柳田前激戦地
背後のいろはかるた「ぬかるみに馬もしりごむ連吾川」から想像するに、このあたりは稲作向きな粘土質なのねー。合戦の起こった旧暦5月は今でいう6月。丁度、梅雨の時期です。さぞかし、ぬっちゃぬっちゃしてたことでしょう。
連吾川を渡ります。
橋の欄干には、上流側には武田の騎馬軍団、下流側は織田・徳川連合軍の鉄砲隊がデザインされています。
馬防柵
馬防柵再現地に到着。合戦屏風図もあるよ。
な…生首抱えてるぅー!
こちらの志村又右衛門は志村けんさんの遠い祖先にあたる方という噂。ごいすー。
ちなみに、又右衛門が抱えている生首は、武田軍の山県昌景。又右衛門が仕えていた武将です。
鳶巣山に布陣していた武田勝頼隊の背後から奇襲をかけた酒井忠次隊
この攻撃と飢えに耐えた長篠籠城隊によって、武田軍は進路を絶たれ大敗を喫しました。
酒井忠次の背後に位置する松平伊忠は信玄の弟・武田信実を討ちとるも、その後の武田軍小山田昌行隊の猛追で戦死、織田徳川連合軍側の数少ない有力武将欠損でした。
馬防柵
柵の前には、人が屈んで入れる程度の空堀が掘られています。
私の身長が156㎝なので、当時の人(戦国武将たちの平均身長は157㎝くらいだった)と大体同じくらい。こんな感じだったのかしらねー。
土屋昌次戦死之地の碑
ぬちゃぬちゃの泥濘を越えた先は銃弾の雨霰。厳しい…。
武田側から見た馬防柵
実際はこれが3列に構えられ、連吾川に沿って下流までずーっと続いていました。
甘利信康墓所
こうしてみると、織田徳川連合側は有力武将があまり戦死していない(松平伊忠は例外)のに対し、武田側は信玄時代の有力な武将が悉くやられてる。かつよりェ…。
家康本陣跡
東郷中学校隣。八剱神社になっています。
駐車場がないので、ダッシュで参拝。
独特すぎる本殿…(苦笑)
信長本陣に向かいます。
道すがら、岡崎信康(松平信康)本陣
家康の長男です。長篠設楽原の合戦では勇猛に戦い武功をあげるも、その後、お母さんが築山殿
註:今川の娘じゃなくて、今川氏家臣・関口親永の娘です。間違えてました。すみませんー。
松尾神社としてお祀りされています。横着して手前で参拝。
信長本陣跡(ふらっとパーク)
新東名設楽原下りPAからアクセスできます。
高速道路を使っていなくても本陣跡の見学、商業施設は利用可能。
お稲荷さんが祀られています。
信長の歌から見るに、ここに布陣する前からお稲荷さんはあったようですねー。
右が信長の歌碑なんだけど、逆光と風化で見えやしません(苦笑)
味がありすぎる人形。ちと怖い(笑)
ここからの眺め。
合戦の時は、周囲の木々は切り倒されていたでしょうから、もう少し見晴らしがよかったことでしょう。
参道を下りていってみたい…けど、今回は同行人がいるので次回にしよう…。
下りPAは織田徳川連合軍のイメージ(徳川色、ほぼゼロですが…)
売店の片隅にも火縄銃の展示があります。カッコいい!
具足と写れるブース
撮影用の具足と模造刀、模造銃もあるよ。
商業施設横の展望台に登ってみましょう。
眺め最高!海も見えるー!
海が見えるとテンションあがるよねー(海なし県民なので)
上りPAにも行ってみましょー
こちらは武田軍・赤揃えのイメージ。こちらもカッコイイねー。
PA規模は、下りPAのほうが大きいです。でも、販売されているお土産物類は、上り・下りどちらもほぼ同じ商品です。
長篠設楽原あっちこっちはこんな感じ。見どころ満載で半日では時間が足らない…!
いつか、湯谷温泉宿泊で再訪したいです。
さて次はどこに行こうかな。
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