その1では、長篠城址と設楽原歴史資料館の見学です。
長篠城址
長篠城址、城址史跡保存館に到着
100名城スタンプは1階部分に設置されています(保存館に入館しなくても押印可)
帯曲輪跡
空堀
土塁
久邇宮良子女王「御手植の松」
大正7(1918)年、ご家族で視察に訪れた際に記念として植えられた黒松です。良子(ながこ)女王は後の香淳皇后、昭和天皇の妃だった方です。当時、良子女王の父・邦彦王は豊橋にあった第15師団の団長を務めていました。師団跡地は現在の愛知大学です。
本丸の隅に鎮座するお稲荷さん
鳶ヶ巣山
本丸跡。広ーい!
画像左下、平地になっている部分が野牛曲輪の端かな。さらに先が、宇連川(左)と寒狭川(豊川(右))の合流部です。中央部右寄りに少ーし写っている赤いアーチ橋は昭和5(1930)年竣工の牛渕橋です。
中央構造線の断層活動によって出来た谷が堀の代わりになっているのね。
露頭が見たいわー(馬場信春(鬼美濃と呼ばれた信玄の家臣)墓所の近くに見学可能な露頭があるようです。これは見に行くしかないわねー)
看板のある所から、眼を凝らすと何となーく滝が見える…。
あちこちに使われている鳥居強右衛門勝商磔図。コインロッカーにも採用されています。
兵糧が尽き絶体絶命の長篠城籠城中の徳川勢を「援軍近し!」と叫び救った奥平家の家臣です。勝商が仕えた奥平信昌の嫁さんが亀姫(家康の娘)です(まあ、信昌はその前に、おふうという女性を妻に娶っていたのだけれどね…)
設楽原歴史資料館
長篠城址から車で10分くらい、設楽原歴史資料館にやってきました。
馬防柵が再現してあります。
手前の石碑には、信玄が撃たれた故事を詠んだ大槻磐渓の漢詩(驚倒暗中跳銃丸 野田城上笛声寒 誰知七十二疑塚 不似一棺湖底安)が刻まれています。
家康の小姓となって写真が撮れるパネル
ところで、小姓というと森蘭丸に代表されるように「美少年」というイメージですが、美しい顔立ちではあったかもだけれど、首から下はムキムキのマッチョ体格だったという。そりゃそうだ。殿を護るのも仕事のうちだもんね。虚弱もやしっ子では使いものにならん。
信玄砲
戦国最強と謳われた甲斐の虎をもってしても、飛び道具には敵わなかったのねー。
手銃
「万暦(1583)癸未年八月」と刻まれています。朝鮮で使われていたものだそうです。
ポルトガル海軍の艦載砲
傍らの説明によると、詳細な年代は不明だそうですが、日本でいう戦国時代に、このような艦載砲を備えた船が往来していたそうです。
16世紀…コロンブスに代表される、ヨーロッパ大航海時代ですね。このヨーロッパ人の航海で異文化だけでなく、キリスト教(カトリック)と梅毒が世界中に広まりました。
火縄銃展示
国友の資料館と並ぶ充実ぶり。数だけみると国友以上です。
口薬(くちぐすり)入れ
火縄銃の火皿に置く発火用の火薬のことです。燃えやすいように粉末になっています。
スペイン胴鎧
ヨーロッパの甲冑は動きにくそうだな…。しかも暑そう。
火おんどり
設楽原で戦死した武田勢の慰霊に長さ2~3m直径80cmほどの松明を燃やして信玄塚で供養したのが始まりだそうです。
三河花火の紹介
狭いスペースにも展示があり、コストパフォーマンス最高です。
公共の史料館はありがたいねー。
屋上から設楽原が見渡せます。馬防柵も少し見えました!
中央に見えるのが本宮山
いつか登りたい、鳳来寺山
資料館を後にして、車を置いたまま歩いて信玄塚、馬防柵を見に行きますよ。
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