今回のGPSログ(ルート)はこちら↓
当日のデータ:
所要時間と距離は 2時間33分、累積距離3.5㎞、累積標高429m
天気 晴時々雲
気温 29~28℃
湿度 32~36%
岐阜公園 第1駐車場駐車場(マップコード28 648 876*65)スタート/ゴール
駐車料金1回310円
さあ、登るよー。
往路は馬の背登山道、復路はめい想の小径(水の手登山道)を歩きました。
(14:17)
三重塔
大正天皇即位の御大典奉祝記念事業として岐阜市が企画、市民からの寄付金で大正6(1917)年に建てられました。
(14:23)
信長居館跡
俯瞰するとこんな感じなのね。
(14:23)
ちょっと戻って、丸山(旧伊奈波神社伝承地)
斎藤道三が稲葉城を居城にするにあたり、現在の場所へ神社を移転させました。ここより若干、南西方向です。
(14:32)
烏帽子岩と旧跡を示す石碑
こちらの岩は、もとからここにあったのではなく、ご神託を受けて長良川の川底から引き揚げて安置したものだそうです。
(14:32)
社殿の基礎が少し残っています。
(14:32)
めい想の小径、馬の背登山道分岐
往路は、馬の背登山道を使います。
(14:35)
ゴジラの背びれみたいー(笑)
(14:41)
中間点に到達
(14:55)
立ち入り禁止や危険個所には、ロープが張ってあって親切安心、ありがたいわね。
(15:08)
石垣が出てきました。
(15:13)
階段を登れば頂上です。
(15:18)
あら素敵ー
(15:18)
井戸跡
雨水を貯めて、非常用の貯水施設として使われたそうです。
(15:20)
岐阜城はコロナで閉館…(6月21日より開館しています)
(15:23)
御嶽神社
(15:24)
橋脚のように石組みが組まれています。カッコいい!
(15:26)
題目塚
傍らの案内看板によると、斎藤道三、織田信長ともに日蓮信者だった、と記載があるのですが、道三はともかく信長はどうだろう。
(道三の父、長井新左衛門尉(松波庄五郎)は、還俗前、京都・妙覚寺の僧侶でした)
…分かんないけど。
(15:31)
伝下台所跡
家臣、使用人たちの調理を行ったり、食事を取った場所
(15:31)
二の丸橋
(15:32)
本丸井戸
(15:33)
信長が入城した後に造成された石垣。さっき、上から眺めたところです。
谷を埋めるように石垣が組まれています。これは大変な作業だわ…。
(15:33)
岐阜城資料館(東隅櫓跡)も閉館
こちらも現在は開館しています。内部リニューアルを施して、「麒麟がくる」コーナーができたそうです。
(15:35)
ここからの眺め
(15:35)
家人と合流、めい想の小径から下山します。
こちらのルートでも「急坂・岩場」なのね。チャート地質だものねー。
(15:39)
お城裏側(だと思う)から下ります。
(15:40)
岐阜城裏門があった場所だそうです。
こちらのめい想の小径(水の手登山道)は、有事で城主が脱出するときに使う道でした。
しかしまあ、主が城を棄てて逃げるとか、状況としては最悪なので、うまく逃げても、その後の再興は相当厳しいと思うの。
(岐阜城じゃないけど、茶碗担いで逃げる荒木村重の姿が目に浮かんでしょうがない。どんだけ「へうげもの」が好きなんだ(笑))
(15:45)
鼻高ハイキングコース分岐
登山道が10コースもあるんですってよ。他の道も歩きたいわー。
(15:46)
ビュースポットからの眺め
(15:50)
手前にある、右向きに伏せたネズミみたいな山(というか丘みたいな)のが鷺山
道三が義龍へ家督を譲ったのちに隠居した居城です。天文18(1549)年、帰蝶はあの山城から、古渡城の信長のもとへ嫁ぎ「鷺山殿」とよばれました。
(15:50)
森を進みます。金華山は植生が豊かねー。
(15:56)
「水の手」と命名されているだけって、沢や泥濘がちょいちょいあります。じめっとしてる。
(前日が雨がだったことも大きいけれど)
(16:10)
沢を渡渉
(16:14)
中間点
めい想の小径の距離が2,300mなので、1,150m地点に到達。
(16:16)
階段破損中
(16:17)
はい、おつかれー。無事戻ってきました。
(16:42)
金華山(岐阜城。馬の背登山道~めい想の小径) はこんな感じ。案内もハイカーも多くて安心安全、見どころも多くて超楽しい!素敵すぎる!
他のルートもぜひ歩いてみたいです。お城内部、資料館も見てないしね(お城内部は、15年くらい前に見に行きました。展示が変わってるかも)
さて次はどこに行こうかな。
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