木曽川文化史料館、各務原空襲資料室に行こう!(2021年5月)

各務原市川島町の木曽川文化史料館各務原空襲資料室に行ってきました。どちらの施設も、今までうっすらと認識していた事柄の補強ができ、とても勉強になりました。

kawashima-kkm-2021may-01.JPG
木曽川沿い、川島会館(マップコード28 414 702*68)に到着

kawashima-kkm-2021may-02.JPG
エントランスに展示してあった、昔のポンプ車

木曽川文化史料館


kawashima-kkm-2021may-03.JPG
コロナ対策で、連絡先提出必須です。
受付のご婦人に声をかけてから見学開始。

kawashima-kkm-2021may-04.JPG
入口すぐのところに、川漁、玉石拾いの再現展示
浮世絵に描かれてるような帆船ですな。

kawashima-kkm-2021may-05.JPG
松倉城パネル展示
木下藤吉郎が墨俣城を築いた際、木曽川を流した材木を松倉城(城というか、松倉湊だと思う)で陸揚げ、加工し、再度流して墨俣に送ったという伝承があるそうです。
ここで地理に聡い方なら、いや墨俣城は長良川河畔でしょ、と気付くかもしれません。昔々の木曽川は今と流れが異なり、愛岐大橋のやや上流で北向きに流れ、長良川に合流していたそうです。
ちなみに、城址の推定所在地(看板のあるところ)は、木曽川の堤防上(マップコード28 447 107*57)、看板が建っているだけです。

kawashima-kkm-2021may-06.JPG
慶応4年3月(1868年4月)の日付が入った高札
1868年、明治維新の年ですねー。太政官ってのは、明治新政府の最高官庁です。明治18(1885)年、内閣制度の発足に伴って廃止されました。

kawashima-kkm-2021may-10.JPG
築捨堤(尻無堤)のパネル展示
イラストから勝手に想像するに、平時のメンテナンスが簡単そう(先端部分の補強が主な整備だと思う)。ただ、増水、氾濫となると堤防終わりの部分で水が巻いて内側から抉られる。まあ、そのために突端(三角州頂点)を居住地域にしていたわけだけど。
「大水きたらさっさと逃げる」っていう生活信条なのでしょう。
それって、自然に抗わず、寄り添って暮らしていると言えなくもないけれど、大変なことにかわりはないわな。

kawashima-kkm-2021may-11.JPG
室町、鎌倉時代の木曽川
三井山登山口の看板に「三井池(木曽川の名残)」と書いてあったのが理解できました!
ところで、上のパネルの三井山の右に描かれているピークは、何山なのー…?宮田から直線上にありつつ低山を地図で探すと、山脇町の若宮神社、もしくは前渡不動(不動山)あたりかしら。
それにしても、高田、切通も木曽川の川べり(支流だけど)だったなんて。びっくりだ。だって、名鉄の切通駅なんて木曽川から3㎞くらいあるんだよ。それこそ、JR高山本線あたりまで木曽川河畔だったことになる…。

kawashima-kkm-2021may-12.JPG
岡田式渡船の模型
ミラマチ栗栖さんのイラスト説明も分かりやすかったけれど、さらにリアル!

kawashima-kkm-2021may-14.JPG
川島にかつてあった渡し場
ちなみに、各務原市全体では14か所も渡し場がありました。

kawashima-kkm-2021may-09.JPG
生活用品の展示

kawashima-kkm-2021may-16.JPG
養蚕、織物の展示
中央の大きな糸車は、八丁式撚糸機。八丁撚糸は、水で濡らして撚るので、中州に位置する川島の気候は塩梅が良かったかも知れません。
ところで、撚糸というと、木曽川向こう愛知県側の江南が有名ですね。

kawashima-kkm-2021may-0001.jpg
パンフレット表(pdf

kawashima-kkm-2021may-0002.jpg
パンフレット裏(pdf

各務原空襲資料室


kawashima-kkm-2021may-18.JPG
こちらは施錠されているので、再度受付のご婦人に声をかけて開けてもらいました。

kawashima-kkm-2021may-19.JPG
展示室の様子
壁面の各務原空襲(1945年6月22日、26日)の大きなパネルと250㎏爆弾、1t爆弾(画像見切れてる)が印象的です。
手前のコンクリート箱は防火水槽。

kawashima-kkm-2021may-21.JPG
戦時中の食事
右上、謎の物体「黒ぼち」。さつま芋と小麦粉で練ってあるらしい…。
美濃弁で、餅のことを「ぼち」(ex.みょうがぼち)というので「黒餅」かも。
黒ぼち以外の豆ごはんや芋づる(さつま芋の茎)は現在でもふつうに食べられている内容ですが、戦時中は燃料や調味料も不足しており、蔬菜の味も今ほど品種改良されていないので、まあ、あんまり美味しくなかったと思う…。

kawashima-kkm-2021may-22.JPG
紙かぶと
どことなく、イギリス軍の洗面器を連想するフォルム…。この形、首の後ろが日に焼けなくていいのかも。日本軍もヘルメットじゃないけど、帽垂れつけてたしね。

そして、時は流れて幾星霜、2016年のジェームズ ダイソンアワード、最優秀賞は紙ヘルメットEcoHelmet) 
紙の強度、馬鹿にできないわ。反省ー。

kawashima-kkm-2021may-23a.jpg
金属類供出のお知らせ(正式名称は「民間金属類特別回収実施要項」)
鉄、銅製品が主だった供出希望物品ぽいけれど、真鍮や鋼製品も回収していたようです(そりゃそうだな)
唐金って何じゃいな、とぐぐる先生に聞いたところ、ブロンズ(青銅。銅錫合金)だそうな。ためになったー。

kawashima-kkm-2021may-24.JPG
日本勧業銀行発行の戦時国債(報国債券)
5円券(昭和17年2月、6月)と10円券(昭和16年2月)
ここに展示されているということは、換金されなかったってことですよねー。既に償還期間が終わっているので、この先も、ずっとこのまま展示され続けることでしょう(笑)まあ、貴重な資料として陽の目を見ているので、換金以上の価値はある…かも…?
戦時中なので、一概に表せないけれど、昭和16~17年ごろは、1円が現在の5,000~1万円くらいだったと思うので、5円券で、現在価値2万5千円~5万円くらいでしょうか。それを、有事とは言えほぼ強制的に買わされる。大変だわ…。
また、戦時中に発行された特別債券は、このほか、換金されず無効になった、賜金国庫債券などがありました。

kawashima-kkm-2021may-26.JPG
川崎航空機の工場で、空襲警報が発令されると掲示された看板(右)
防空頭巾(左)
ガラスに反射して、自分が写り込んでしまってたー。

kawashima-kkm-2021may-28.JPG
被弾した川崎航空機工場の鉄骨

kawashima-kkm-2021may-29.JPG
被弾部分アップ

kawashima-kkm-2021may-30.JPG
爆撃機のタイヤ、飛燕(三式戦闘機)のタイヤ
飛燕は当時としては画期的な水冷エンジンでした(零戦は空冷)
各務原ではエンジンでなく、主に機体を製造していました。飛燕は鼻先がシュッとしててカッコいいフォルムです。水冷はエンジンに直接、風を当てる必要がないからねー。
いや、まあ零戦は零戦で素敵だけど。何より空冷はシンプルイズザベストなのだよ。

kawashima-kkm-2021may-33.JPG
2屯爆弾の破片
ドラム缶100本分の爆弾が空から降ってくるとか、やばすぎる。衝撃波を逃れても、こんな破片が猛スピードで飛んできたら絶対助からん…(怖)

kawashima-kkm-2021may-36.JPG
戦後、進駐軍によって持ち込まれたDDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)の瓶
蚤、虱などの駆除に使われました。日本では1970年頃に使われなくなりましたが、南米やアジア、アフリカなどでマラリア駆除に今でも使われています。
ところで、DDTといえばレイチェルカーソン。「美しい自然が広がっている町がある…」ってやつ。環境保護と人類発展の共存は難しいすねー。
どっちも大事。

kawashima-kkm-2021may-39.JPG
(恵山丸で舞鶴に到着した)引き上げ証明書
黒河省北孫呉、今の黒竜江省黒河市なので旧満州です。黒竜江はロシアではアムール川
恵山丸は日本郵船の戦時標準型貨物船。戦時標準船ってのは、低コスト、大量生産、大量輸送に重きを置いた粗悪船(と言い切るのも酷だけど…)です。
引き上げ記念館のサイトによると、舞鶴だけで66万人の引揚者がいたそうです。すごい人数だわ…!

木曽川文化史料館、各務原空襲資料室はこんな感じ。続いて、旧川島町内をさんぽしますよ。
続きはこちら☆




この記事へのコメント