木曽川沿い、川島会館(マップコード28 414 702*68)に到着
エントランスに展示してあった、昔のポンプ車
木曽川文化史料館
コロナ対策で、連絡先提出必須です。
受付のご婦人に声をかけてから見学開始。
入口すぐのところに、川漁、玉石拾いの再現展示
浮世絵に描かれてるような帆船ですな。
松倉城パネル展示
木下藤吉郎が墨俣城を築いた際、木曽川を流した材木を松倉城(城というか、松倉湊だと思う)で陸揚げ、加工し、再度流して墨俣に送ったという伝承があるそうです。
ここで地理に聡い方なら、いや墨俣城は長良川河畔でしょ、と気付くかもしれません。昔々の木曽川は今と流れが異なり、愛岐大橋のやや上流で北向きに流れ、長良川に合流していたそうです。
ちなみに、城址の推定所在地(看板のあるところ)は、木曽川の堤防上(マップコード28 447 107*57)、看板が建っているだけです。
慶応4年3月(1868年4月)の日付が入った高札
1868年、明治維新の年ですねー。太政官ってのは、明治新政府の最高官庁です。明治18(1885)年、内閣制度の発足に伴って廃止されました。
築捨堤(尻無堤)のパネル展示
イラストから勝手に想像するに、平時のメンテナンスが簡単そう(先端部分の補強が主な整備だと思う)。ただ、増水、氾濫となると堤防終わりの部分で水が巻いて内側から抉られる。まあ、そのために突端(三角州頂点)を居住地域にしていたわけだけど。
「大水きたらさっさと逃げる」っていう生活信条なのでしょう。
それって、自然に抗わず、寄り添って暮らしていると言えなくもないけれど、大変なことにかわりはないわな。
室町、鎌倉時代の木曽川
三井山登山口の看板に「三井池(木曽川の名残)」と書いてあったのが理解できました!
ところで、上のパネルの三井山の右に描かれているピークは、何山なのー…?宮田から直線上にありつつ低山を地図で探すと、山脇町の若宮神社、もしくは前渡不動(不動山)あたりかしら。
それにしても、高田、切通も木曽川の川べり(支流だけど)だったなんて。びっくりだ。だって、名鉄の切通駅なんて木曽川から3㎞くらいあるんだよ。それこそ、JR高山本線あたりまで木曽川河畔だったことになる…。
岡田式渡船の模型
ミラマチ栗栖さんのイラスト説明も分かりやすかったけれど、さらにリアル!
川島にかつてあった渡し場
ちなみに、各務原市全体では14か所も渡し場がありました。
生活用品の展示
養蚕、織物の展示
中央の大きな糸車は、八丁式撚糸機。八丁撚糸は、水で濡らして撚るので、中州に位置する川島の気候は塩梅が良かったかも知れません。
ところで、撚糸というと、木曽川向こう愛知県側の江南が有名ですね。
パンフレット表(pdf)
パンフレット裏(pdf)
各務原空襲資料室
こちらは施錠されているので、再度受付のご婦人に声をかけて開けてもらいました。
展示室の様子
壁面の各務原空襲(1945年6月22日、26日)の大きなパネルと250㎏爆弾、1t爆弾(画像見切れてる)が印象的です。
手前のコンクリート箱は防火水槽。
戦時中の食事
右上、謎の物体「黒ぼち」。さつま芋と小麦粉で練ってあるらしい…。
美濃弁で、餅のことを「ぼち」(ex.みょうがぼち)というので「黒餅」かも。
黒ぼち以外の豆ごはんや芋づる(さつま芋の茎)は現在でもふつうに食べられている内容ですが、戦時中は燃料や調味料も不足しており、蔬菜の味も今ほど品種改良されていないので、まあ、あんまり美味しくなかったと思う…。
紙かぶと
どことなく、イギリス軍の洗面器を連想するフォルム…。この形、首の後ろが日に焼けなくていいのかも。日本軍もヘルメットじゃないけど、帽垂れつけてたしね。
そして、時は流れて幾星霜、2016年のジェームズ ダイソンアワード、最優秀賞は紙ヘルメット(EcoHelmet)
紙の強度、馬鹿にできないわ。反省ー。
金属類供出のお知らせ(正式名称は「民間金属類特別回収実施要項」)
鉄、銅製品が主だった供出希望物品ぽいけれど、真鍮や鋼製品も回収していたようです(そりゃそうだな)
唐金って何じゃいな、とぐぐる先生に聞いたところ、ブロンズ(青銅。銅錫合金)だそうな。ためになったー。
日本勧業銀行発行の戦時国債(報国債券)
5円券(昭和17年2月、6月)と10円券(昭和16年2月)
ここに展示されているということは、換金されなかったってことですよねー。既に償還期間が終わっているので、この先も、ずっとこのまま展示され続けることでしょう(笑)まあ、貴重な資料として陽の目を見ているので、換金以上の価値はある…かも…?
戦時中なので、一概に表せないけれど、昭和16~17年ごろは、1円が現在の5,000~1万円くらいだったと思うので、5円券で、現在価値2万5千円~5万円くらいでしょうか。それを、有事とは言えほぼ強制的に買わされる。大変だわ…。
また、戦時中に発行された特別債券は、このほか、換金されず無効になった、賜金国庫債券などがありました。
川崎航空機の工場で、空襲警報が発令されると掲示された看板(右)
防空頭巾(左)
ガラスに反射して、自分が写り込んでしまってたー。
被弾した川崎航空機工場の鉄骨
被弾部分アップ
爆撃機のタイヤ、飛燕(三式戦闘機)のタイヤ
飛燕は当時としては画期的な水冷エンジンでした(零戦は空冷)
各務原ではエンジンでなく、主に機体を製造していました。飛燕は鼻先がシュッとしててカッコいいフォルムです。水冷はエンジンに直接、風を当てる必要がないからねー。
いや、まあ零戦は零戦で素敵だけど。何より空冷はシンプルイズザベストなのだよ。
2屯爆弾の破片
ドラム缶100本分の爆弾が空から降ってくるとか、やばすぎる。衝撃波を逃れても、こんな破片が猛スピードで飛んできたら絶対助からん…(怖)
戦後、進駐軍によって持ち込まれたDDT(ジクロロジフェニルトリクロロエタン)の瓶
蚤、虱などの駆除に使われました。日本では1970年頃に使われなくなりましたが、南米やアジア、アフリカなどでマラリア駆除に今でも使われています。
ところで、DDTといえばレイチェルカーソン。「美しい自然が広がっている町がある…」ってやつ。環境保護と人類発展の共存は難しいすねー。
どっちも大事。
(恵山丸で舞鶴に到着した)引き上げ証明書
黒河省北孫呉、今の黒竜江省黒河市なので旧満州です。黒竜江はロシアではアムール川
恵山丸は日本郵船の戦時標準型貨物船。戦時標準船ってのは、低コスト、大量生産、大量輸送に重きを置いた粗悪船(と言い切るのも酷だけど…)です。
引き上げ記念館のサイトによると、舞鶴だけで66万人の引揚者がいたそうです。すごい人数だわ…!
木曽川文化史料館、各務原空襲資料室はこんな感じ。続いて、旧川島町内をさんぽしますよ。
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