その2は、まるまる山~松尾山~弥勒寺官衙遺跡~弥勒寺~円空墓所まで。
その1↓の続きです。
まるまる山に向かいます。
あちらこちらに案内表示が出ています。親切だわー。
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まるまる山に到着
山の真下を東海北陸自動車道が貫いています。
そういえば先日、東海北陸自動車道を関ICから可児御嵩ICまで走り、加治田城址が自動車道・川小牧トンネルの真上ということに初めて気づきました。俄然、高まる再訪の機運。
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ボランティアさんたちが、朽ちた古木の除去を行っていました。
こういった有志の方々に愛されているお陰で、安心して歩けます。ありがたいです。
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関観光ホテルと弥勒寺ビュー
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竹林の小径を抜けて松尾山へ向かいます。
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丸太橋が渡りやすくなってるー。
安全性アップ!
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橋を渡ったら右へ。
左に進むと、八幡神社、愛宕神社、永昌寺方面です。
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登りまーす。
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山頂手前のビュースポットに到着でーす。
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山頂は眺望いまいち
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私的、松尾山一番の難所。
足が届かんのですよ…(短足辛い)
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永昌寺裏手に出ました
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ツツジ満開!素敵ー!
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永昌寺。山号は松尾山。
無極禅師開山の龍泰寺の一宇(一棟)を移し、清伝庵と称したのが始まりです。
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お寺の角にひっそり立つ観音様が彫られた道標
「右」「たにぐみ」しか読めない…。
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2021/10/01追記:
再度、画像をよーく見たら「右 小瀬む□(不明)」「北(?)方 たにぐみミ□(不明))
地図で見ると、確かに、ここから西へ約32km(8里)進むと谷汲山です。巡礼者の街道があったのかしら。
鮎之瀬橋を渡ります。
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弥勒寺官衙遺跡に戻ってきました。
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壬申の乱で、大海人皇子(天武天皇)側についたムゲツ氏ゆかりの遺跡だそうです。
白鳳文化=正倉院展=エキゾチックで華やかな仏教芸術という偏ってイメージでいたけれど、改めて考えてみれば、騒乱の時代だからこその宗教芸術ですな(当時の人たちは、芸術という意識ではなく、ただ平安を求めていただけかも知れないけれど)
それにしても、こうしてみると、岐阜は各地に歴史の要衝が点在するのね。「山しかない」とか言ってないで、観光資源としてもっとアピールすればいいのにー。
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正倉院跡
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正倉院って、「正税を収める倉」の意味なのね。宝物庫だとばかり思ってました…。
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正殿跡
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さて、円空中興の弥勒寺をお参りしましょう。
円空住持の元禄2(1689)年に、近江の園城寺(三井寺)の末寺となった記録が残っているそうです。天台宗のお寺さんなのね。
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平成・令和の仏師による円空像
力作揃いです。圧巻だわー…。
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弥勒寺を後にし、円空墓所へ向かいます。
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森を進むよー。
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池尻山中腹の苔むした一角にお墓があります。
円空墓所
墓石には「當(当)寺中興 ユ(梵字)圓(円)空上人 元禄八乙亥天七月十五日」と彫られています。
元禄8乙亥は西暦にすると1695年、7月15日も旧暦なので、グレゴリオ暦で8月24日です。
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弥勒寺跡へ向かいますよ。
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