というわけで、深川神社の瓦の確認(?)も兼ねて歩いてきました。
その2では、法雲寺〜深川神社〜無風庵(建屋のみ)〜窯神神社です。
その1↓の続きです。
紫雲山法雲寺
本願寺のお寺さんです。
山門に彫ってあった紋。菊輪に三つ葉葵…かな?
陶製梵鐘
戦時中の金属供出で代用品として作られた梵鐘です。
本堂
加藤高明翁手植えの松
加藤高明って方は、愛西市出身の戦前の政治家です。首相を1回、外相を4回務めました。
深川神社に到着
隣に直営ホテルがあったり、案内表示がタッチパネルだったり、商才に長けた神社でした(笑)
絵馬はプッチ風のハートのものと、七五三用にライオン柄、写真を失念したけれど
達磨柄の合格祈願など。
社殿
永禄年間、織田信長が鷹狩りで当地に訪れた際、斉藤龍興の刺客に襲われそうになるも、宮司の機転で難を逃れ、後に謝礼として75石の米を寄進したそうです。
東海地方の神社仏閣は、武将に纏わる逸話を持っているところが沢山ありますね。
緑釉の鬼瓦、きれいねえー。
ただ、尾張戸神社でみた釉薬瓦とちょっと色目が違うかも。こちらのほうが深い緑色です。
どちらの釉薬瓦も美しいけれどね。
瓦を使った照明。内部に電灯が入っていました。
オシャレー
陶彦社
鳥居に掲げられている銘板は焼き物で作られています。ステキ。
本殿
瀬戸焼の祖と言われる、加藤景正(四郎左衛門(藤四郎))が祀られています。
加藤景正は加藤景廉の弟と伝えられています。で、景廉の領地のひとつに美濃国遠山荘(現在の岐阜県恵那市、中津川市、瑞浪市陶地区)がありました。景廉の長男・加藤太郎(遠山景朝)が遠山荘を相続し、岩村(恵那市)に築城。遠山氏と称して岩村城を拠点にしました。この縁で岩村城内の八幡神社には誉田別命とともに、加藤景廉も祀られています。
岩村城址へ行ったときの様子はこちら。八幡神社は記事真ん中らへんです。
お願い狛犬(右の素焼きっぽい狛犬)
願い事を書いて狛犬に入れ、一つを陶彦社に奉納し、片方は自分で保管しておくのだそうです。
左右に鎮座する黄瀬戸っぽい色合いの狛犬が、藤四郎が作陶した狛犬に微妙に似てるー。
深川神社、陶彦社に挟まれるような形でお稲荷さんが祀られています。
お社
古墳もあった!その名も「深川神社古墳」
南向きに横穴式石室が開口しています。
まあ、すぐ近くの東谷山や志段味(守山区)にあれだけ沢山の古墳があったのだから、さほど離れていない瀬戸にも、あって当然ですわいな。
窯神神社へ向かいます。
道すがら、無風庵へ寄ってみましょう。
案内表示や地べたにも陶板が埋め込まれててステキ。
窯道具を積み上げて作った塀
ジオメトリックで面白いです。見目も良いし、使わなくなった道具の再利用にもなるし、塀の補強になって一石三鳥ですね。
坂を登って、無風庵に到着。
御亭山という(読みがなが凄い(笑))標高134mの低山です。
こちらの無風庵、藤井達吉が小原村で住んでいた家屋を移築したものです。小原村というと、四季桜と和紙と豆腐の村ってイメージ(今は豊田市です)
コロナのせいで内部公開休止中。最近、こんなのばかりです…。
日露戦争戦勝記念碑
殉国慰霊塔
こちらは、日露戦争以降の戦没者慰霊碑かしらね。
今度こそ、窯神神社へ。
さっきとは異なる柄の窯垣
分岐に来ました。徒歩なので左へ
窯神神社へ到着
ここでも狛犬は陶器でできています。
あぁ…鼻水が出ている…。
本殿
秋葉大権現、天満威徳天神、金毘羅大権現、丸窯神が祀られています。
丸窯神が磁祖・加藤民吉です。
加藤民吉ゆかりの神社だから下り藤なのね
加藤民吉像
加藤唐左衛門髙影翁頌徳碑
津金胤臣父子頒徳碑
尾張藩熱田奉行所の藩士だった親子です。民吉の肥前留学に尽力しました。
桜が咲き始めていました
展望台からの眺め
向こうの峰々は愛知高原国定公園。一番高いのが猿投山かしら。だいぶ日も傾いてきました。
駅のほうへ行ってみましょう。
染付の瓶を再利用。あらオシャレ。
パルティ瀬戸の観光案内所はクローズドしてました。
藤井聡太棋士を応援するメッセージがいっぱい。
瀬戸出身だもんね。それにしても、すごい18歳だわ…。
名鉄尾張瀬戸駅
橋にも染付陶器が採用されいます。カッコいい!
はい、おつかれー。
無事、瀬戸蔵に戻ってきました。
おまけ
帰路途中、国長橋からの池田富士
瀬戸と同じ焼き物の町ですが、雰囲気が違くて面白いです。
瀬戸蔵周辺はこんな感じ。瀬戸蔵が予想以上に楽しくて、その後の散策が時間押しまくり(苦笑)
街なかは、陶板や窯垣が随所にあって、歩いていて本当に楽しかったです。逆に歩かないと、楽しさが伝わらない街かもしれません。
次回は、陶祖公園や窯垣の小径を歩いてみたいです。
さて次はどこに行こうかな。
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