当初の予定を縮小して福井と滋賀に行ってきました。訪問先は、福井が一乗谷、永平寺、東尋坊、敦賀、熊川宿。滋賀が賤ヶ岳です。
その6↓の続きです。
金崎宮へ。赤レンガからすぐです。歩いて行けるかも!と近くまで行ってみましたが、単管バリケードに阻まれて無理でした。どうやら、JR貨物の敷地みたい。金前寺の手前の駐車場に車を置いてアプローチしました。
古くは治承・寿永の乱(源平合戦)で平通盛が木曾義仲との戦いのため、城を築いたのがはじまりとされているそうです。
その後、建武の乱では南朝方が籠城戦に挑みますが尊良親王、新田義顕らは自刃、恒良親王は捕縛され落城します。
さらに時代は進み、室町末期の元亀元年。織田信長と朝倉義景との戦いで、浅井家離反を知った信長の軍勢は、ここから木下藤吉郎(秀吉)の殿(しんがり)で撤退戦を行いました。
ちなみに、信長が浅井長政の裏切りを知った手だてが、長政に嫁いでいた市が信長へ陣中見舞いに送った両端を縛った小豆袋、あのエピソードですが、どうやらこれは創作の域を出ないそうで。ただ、面白いエピソードなので金ケ崎宮のお守り(難関突破守)には、小豆が入ってるらしい。アイデアの勝利だわ!
道なりに進むと、最初にあるのが愛宕神社
火伏せ、防火の神社です。
私個人は、おかしな病にかかっているので、愛宕と聞くと巡洋艦かなと思ってしまう…。
さらに進むと金崎宮
金ヶ崎の戦いで敗れ当地で自害した尊良親王と、捕縛ののち亡くなった恒良親王が祀られています。
え…えぇ…
巣ができる→駆除→巣…のエンドレスみたい。
スズメバチといい、アシナガバチといい、なぜ奴等は同じ場所に巣をかけたがるのか…。そういや、ツバメもそうだわ。
福娘と花(桜の小枝)を交換することで恋愛祈願になる、というお祭り(花換まつり)が毎年行われているそうです。
金崎宮の摂社の絹掛神社
尊良親王、恒良親王を奉じた南朝方の公家や武将たち(藤原行房、新田義顕、気比神宮神職・気比氏治、斉晴親子など)が祀られています。
神社左手からいざ登城
尊良親王御陵墓見込地
宮家(後醍醐天皇)と足利(足利尊氏)が戦った建武の乱で、敗れた南朝の尊良親王が自刃したとされる場所です。
金ヶ崎の戦いの古戦場碑
この戦いを制した足利尊氏が室町幕府を開きます。その後、なんだかんだと230年続きます。
足利といえば、「麒麟がくる」で向井理さん演じる、13代将軍・義輝がそろそろ謀殺されそうです…。
月見御殿(本丸)跡
本丸跡まで神社から10分くらいです。海が近いので虫も少なく快適トレッキング。
ただ、本丸跡は地盤の具合があまり芳しくないようで、すぐさま撤退。
本丸跡からの眺め(パノラマ撮影手ブレ…)
敦賀湾ビュー。海はいいわね。美濃には海がないからなあ…。
右下は、太平洋セメント傘下の敦賀セメントの工場
お社があったり…
二の木戸跡
この看板の後ろが竪堀になっているそうです。
途中、金ヶ崎城支城の天筒山方面の城址表示があるも、一人旅ではないので断念。いつか行ってみたいです。
神社参道横(鳥居の手前)に出てきました。車に戻りましょう。
さて次は熊川宿に向かいます。こちら↓
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