[映画]ダンケルク

 ダンケルク(クリストファー・ノーラン監督)を見てきました。戦争って不毛だわー…と改めて感じました。
それでは、以下、いつものようにがっつりネタバレです。

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禅寺一日入門に参加してきました。 その3(2日目前編)

1泊2日で禅寺一日入門に行ってきました。

2日目の朝です。開静(起床)は5時でしたが、普段4時半(アラームは4時20分ですが、10分くらい布団の上で伸びたり縮んだりしています)に起きるので、その癖で4時半に起きてしまいました。静かーに洗面、歯磨きをし、静かーに布団を畳んで、静かーにお寺を抜け出し、こっそりウォーキングに行ってきました(…これって、脱走?!(笑))

5時15分ごろから、朝課と坐禅。
お寺さんの祈祷に、禅寺1日入門の参加者と縁者の家内安全、無病息災の文言が入っていたのが嬉しかったです。その後、参禅者による般若心経。お勤めのあとは坐禅。20分を1回。

6時すぎ、粥座(朝ご飯)です。
粥座って言うくらいなので、お粥です。さつま芋のお粥と梅干、塩昆布、沢庵。
お粥も前日の晩ご飯のお味噌汁同様に、お寺さんが盛って回ります。合掌してお椀を渡し、手を擦り合せて合図です。ちなみに、記事を打っていて思い出しましたが、合掌低頭している間は、般若心経を唱えるように言われましたが、お経を覚えていないので、てんやわんやでした(爆)
食事の前には、五観文を唱えます。
食後は、こちらも前日の晩ご飯と同様に、お茶と沢庵でお椀をこそいで終了。梅干の種も飲み込んでしまったけれど、これは残しても良かった模様。

7時からは掃除です。参禅者は全員、雑巾での拭き掃除。
真新しい雑巾を1人1枚づつ配布してもらい、障子戸と土間以外を各々担当しました。
禅寺なので、毎日あちこち綺麗にしているだろうと思っていたのですが、窓ふきをしたら雑巾が真っ黒になりました…。
予定表では、1時間くらい掃除に充てられていましたが、子供たちは飽きるわ、年配者は体力が持たないわで掃除は30分くらいで終了しました(笑)

8時過ぎからは講話(子供たちは、禅語かるた)
講話の担当は、偉い老師様(名前分からないです。すみません)でした。
お話の内容よりも、老師様をお迎えするお寺さんたちの緊張感が印象的でした。私たちの世話をしている時は長襦袢の上に紗の直綴を羽織っているだけなのに、老師様が来る数分前あたりから、袈裟を重ね、扇子を持ち…と正装(?)していましたし、お経もはじめて耳にするものでした。線香も異なるものを燻らせていました。禅寺って、体育会系というか、縦社会なのねと思った瞬間でした(それって、お釈迦様の思想とちょっと違う気もするけれど…)
禅寺では、言葉の代わりに鳴り物で意思疎通を図るということは、坐禅や食事で学びましたが、偉い人をお迎えする場合も、やっぱり鳴り物で。眠気覚ましも兼ねていると思いますが、大きな太鼓でドンドコドンドコ。そのグルーブ感が楽しくなっちゃって、正直、笑いを堪えるのが大変でした(爆)
そしていよいよ老師様登場。真っ先に御本尊に三拝(三拝って何?って方は、こちらの動画を参照ください。三拝が始まるところからリンクしてあります)。この三拝が、それはもう美しくて、瞬きを忘れて見入ってしまいました。ケンハラクマのアシュタンガヨーガのようでした(ケンハラクマさんは動画でしか見たことないけど)
肝心の講話は、白隠禅師坐禅和讃からはじまり、一休禅師の「闇の夜に鳴かぬ烏の声きけば、生まれぬ先の父ぞ恋しき」や甲斐和里子先生の「岩もあり、木の根もあれど、さらさらと、たださらさらと、水の流るる」などの和歌や、フジコヘミングさん中村久子さんなど、苦境を撥ねかえして生きてきた方たちの紹介でした。
講話が終わると、老師様、お寺さん、参禅者の皆で四弘誓願を唱え、お寺さんの読経の中、颯爽とお帰りになられました。

9時半すぎからは一日入門最後の坐禅です。
長くなったので分割します。続きはこちらから☆

禅寺一日入門に参加してきました。 その2(1日目後編)

1泊2日で禅寺一日入門に行ってきました。

坐禅の次は写経です(子供たちは塗り絵)
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むう…字が汚い…。
私は、般若心経を2枚書きましたが、他の方は1枚写経、1枚仏画だったり…とバラエティがありました。仏画も楽しそうでした。

一心不乱に般若心経を書き散らした後は、薬石(夕食)です。
献立は、ご飯、根菜のお味噌汁、精進筑前煮、がんもどきの含め煮(大根おろしのせ)、いんげんの胡麻和え、沢庵でした。
料理は朱塗りの持鉢(曹洞宗で言うと応量器)に盛られていました。ご飯とお味噌汁は、雲水さんが桶を持って順番に配膳に回ってくださります。自分の番が来たら、合掌低頭してよそって下さるのを待ちます。ご飯、お味噌汁どちらも、丁度良い量になったら手を擦りあわせて合図をすると、盛りが止まります。合図をしないと、器から溢れるまで盛られます(笑)
食事の前には、五観文を唱えます。
食べ終わると、雲水さんがやかんを持って回ってきます。ご飯の器にお茶を注いでもらい、皆さんご存知のように、箸ですべての器にお茶を順に回しいれ、沢庵でこそいで、お茶を飲んで沢庵を食べきって終了です。ご飯の器は、布巾で拭って、翌日まで自分の鉢として布巾で包んで保管しました。
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お椀を包む布巾をお寺さんが配布してくれました。使用後は、そのまま持ち帰り。
布巾の画像は自宅撮影です。

食後はしばらく休憩。歯磨きをしたり、スマホ見たり、日記を書いたりして過ごしました。

午後6時半、夜の坐禅開始です。時間は先ほどと同じ20分×2回。
昼の坐禅で、次から次に雑念が沸いてくるのは、安穏と座っていたからと(間違った)思考のもと、今度は結跏趺坐で座れば足の痛さに雑念も沸かないはず、と、がっちり身体がホールドされる結跏趺坐で座ってみました。
足は確かに痛い…けれど、やっぱり雑念だらけ。離島か温泉に行きたいなあとか、焼き肉やら刺身が食べたいなとか、もう本当にくだらないことばっかり思い巡らしていました(爆)
ところで、坐禅と言うと、警策でバシーン!ってイメージだと思うのですが、今回は「叩かれたい人は自己申告制」でした。
物事は経験なので、お寺さんが前を通る瞬間を見計らって合掌低頭。坐禅は2人のお寺さんが警策を持って回っていたので、両方に叩かれてみました。感想は、どちらのお寺さんの警策も、音のわりに痛くありませんでした。まあ、手加減して下さったのだろうと思いますが…。

午後8時からは法話。
担当は春日井市上条町にある泰岳寺副住職さまでした。今年早春までテレビ放送していた、ぶっちゃけ寺にも出演なさっていたそうです。
お話のテーマは「当たり前が、ありがとう」でした。興味深い内容でしたが、聞いたお話を文章で上手にまとめられないので、備忘も兼ねて、その時のメモをもとに箇条書きにしてみます。
 ・今日日、仏教のイメージというと、葬のイメージが強く感じられるけれど、仏教とは、死後のことではなく、私たちが日々を心安らかに生きていくための智慧である。
 ・ブッダの死因が豚もしくはきのこの食中毒だったと言われている(花園大の佐々木閑先生)
世界3億8千万の信仰者に「お釈迦様」と奉られてるのに、死因が食中毒(2600年前のインドで80歳まで生きたってのは十分、凄いことだけれど)とか、お隣のじいちゃんみたい。でも、その人間ぽさが仏教のいいところ。
 ・私たちが普段使っている言葉は、仏教の教えがもとになっているものが結構ある。
例えば、「微妙」という単語は、ネガティブなイメージを持たれがちだけれど、仏教では、「みみょう」と読み、細かいところまで行き届いている、という意味になること。ファンデルローエのGod is in the detail(神は細部に宿る)みたいなものでしょうかね。
 ・「旦那(檀那。だーな)」は「布施」とイコールであること。そして、布施は、見返りを求めない施しという意味。世間の旦那さんは戦慄しそう。
 ・「有難う」も実は仏教の言葉。有り難し、つまり珍しいこと、稀なこと。「有難う」が謝意を表すようになったのは、江戸時代になってから。それまでは「忝い」が有難うの意味だった。それと、有難うの対語は、当然、当たり前。
 ・仏教では、対のものがイコールになる。当たり前の生活が(できることが)有り難い。
「当たり前が有難う」と思えるためには、自分が足りていることを知ることから。龍安寺の蹲踞ですね。

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法話の後は、茶礼
適当に3つの班に分かれて、ミーティングです。班それぞれに、お寺さんが1人担当。
しばらく後に、握り地蔵つくりが終わった子供たちも適当に加わりました。子供が加わると、話題がそっちに振られるので良いですね。
私が参加させてもらった班に加わったちびっ子は、小学校2年生なのに、1人で知多から来たそうです。偉いわー!(電車で2回くらい乗り換えがあるんだよ)

午後9時、解定。般若心経を唱えて、本日のスケジュールは終了です。
男女で部屋を分けて、各々で布団を敷いて雑魚寝です。お風呂に入れないので、希望者には汗拭きシートの配布がありました。
私もシートを1枚分けてもらい、あちこち拭いて、布団の上でいつものストレッチの簡単バージョンをやって就寝。どこでも寝れるので、気がついたら翌朝でした。

その3(2日目前編)に続きます。こちらから☆