兼山町さんぽ(2020年6月)

森家ゆかりの可児市兼山町をお散歩してきました。
前回、美濃金山城に訪れたときに寄れていなかった、山城ミュージアム、可成寺、兼山湊を見てきました。駐車場は、美濃金山城へ登った時と同様の場所を利用。ぐるっと回って車に戻ったら、出入口が半分閉められてました。夕方5時を過ぎたら要注意ですぞ。

美濃金山城へ登ったときの記事はこちら↓


山城ミュージアム

可児観光交流館の隣です。車はお城に登った時と同じところに停めました。
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こちらの素敵建物は明治18(1885)年に建てられた旧兼山小学校です。斜面に懸造りで建てられているので、こちらの玄関は3階建ての2階部分です。ちなみに現在の兼山小学校はお城の麓。良いロケーションね。

入り口でコロナ対策の連絡先を提出し、手指消毒を行ってから入館です(館内マスク必須)
展示は2階と1階です。2階が山城、戦国関係。
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入ってすぐのところにある、信長、妙向尼、森家三兄弟の木目込み人形
可児市今渡の可児人形さんの提供です。

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久々利城のジオラマ
制作提供はパロマ工業ジオラマ部(そんなのあるんだ…。大きい会社は楽しいわね)
それにしてもこのジオラマ、城下の家々まで作ってあってすごい。
美濃金山城から久々利城までは8㎞くらいの距離です。

久々利城へ登ったときの記事はこちら↓


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こちらの兜は、久々利城主・土岐悪五郎(久々利頼興)のものと言われています。
戦国時代の兜は、目立つことに意義があると思っていましたが、存外とシンプルですね。

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美濃金山城ジオラマ
こちらも、パロマ工業ジオラマ部の制作です。写真では分かり辛いけれど、先の久々利城以上に、細かいところまでみっしりと作り込んでありました。ずっと見てられるやつです(笑)

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森蘭丸具足
具足ってのは、鎧兜など甲冑の別名です。総重量だいたい15~20kg。
戦国時代の具足、機会があったら着用してみたい。剣道の防具をダイビング器材の重さにしたような感じかしら(防具の数倍より動き辛そうだけど)

階段を下りて1階へ(懸造りなので、地下におりてる感覚になります)
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1階は、旧兼山町の紹介です。
兼山には川湊があったので、船が輸送の主力だった頃は商いで栄えていたことと思います。街並みを見ても、昔は賑わっていただろう雰囲気が残っています。
鉄道の拡充、モータリゼーションの台頭で、今ではすっかり静かな里山となった可児市兼山、ちょっと前までは可児郡兼山町でした。
平成の大合併で御嵩町が独立独歩を選択したので、旧兼山町だけ飛び地みたいになりました。まあ、岐阜は兼山に限らず、西のほうも似たようなことになってるし、関市は飛び地ではないけれど、市の形がV字になってたり面白い県ですよ…。

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名鉄八百津線の展示
平成13(2001)年に廃止された名鉄路線です。可児市平貝戸の明智駅から八百津町の八百津駅までを結んでいました。
このままでは広見線が八百津線の二の舞に…!と危惧している可児市は上納に必死です。きびしい(3セク化すると運賃が跳ね上がるし、バス化すると廃止が一気に近づくし。田舎の公共交通機関は、ほんときびしい)

可成寺

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宇佐山城合戦で討死した森可成の菩提を弔うため、嫡子・長可が建てた臨済宗のお寺さんです。

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筆塚

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案内看板

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本堂

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瓦に家紋の鶴丸が入っています。

森家墓所にお参りしましょう。
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コンクリート壁設置部分が、旧八百津線の路線だったところです。
つまり、本堂の真後ろ(お寺さんの境内)を電車が走っていました。すげえな(いや、電車乗りながら墓参できると考えればいいのか…)

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何の説明もなかったけれど、もしかしたら森家に仕えた者たちのお墓もこの中にあるかも。

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森家墓所は、一段高く石垣が組まれ白壁で囲まれていました。
左から、森長可、可成、可行(可成の父)、可隆のお墓です。
この中で討死でなかったのは可行だけです。いくら乱世といえ、一族の男子ほとんどが討死とか凄まじいな…。

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左から、森坊丸(長隆)、乱丸(成利)、力丸(長氏)のお墓
御三方とも、本能寺で信長とともに散った若獅子たちです。

兼山湊

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古くは室町の頃から、明治末あたりまで栄えた木曽川上流部の商用港(川湊)です。
小牧長久手合戦では、秀吉の命を受けた長可によって兼山湊の舟が徴用されました。

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平成5(1993)年に放送されたドラマ「森蘭丸〜戦国を駆け抜けた若獅子〜」のロケに使われました。

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案内看板
なかなかレトロな味わいです…。
こちらの説明によると、永禄11(1568)年・信長上洛の際には、京都御所修築用材を木曽谷から荷駄で運び、兼山湊で船積みされました。
また、森家所領時代には塩、魚の専売権許可が発布されたのと同時に六斎市(月に6回行われる定期市)が立つようになりました。
江戸時代に入り、尾張藩によって上流の錦織に奉行所と川湊が整備され、木材運搬管理はこちらの錦織湊から行われるようになります。
弘化年間には岩村藩主・松平乗喬が廻米を兼山湊から荷出しし、桑名経由で江戸へ向かいました。その後は、次第に下流域の新村湊(中山道伏見宿)、野市場湊(可児市今渡)などが利用されるようになり、また塩の専売権も上流の黒瀬湊や錦織湊へと移ったため、兼山湊は規模が縮小していったそうです。

県道381号線、351号線をてくてく歩いて駐車場に戻ってきました。ゆっくり見ながら歩いて1時間くらい。静かで雰囲気も良くて面白かったです。ただ、歩道がない箇所が多いのでそれだけがネック。


さて、次はどこに行こうかな。

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