五宝滝
山の中を進んだ突き当りに位置します。ほぼ1本道なので迷わずアクセスできます。到着ー。
駐車場、トイレ完備です。
滝周辺は色んな踏み跡が残っていますが「歩行可能かそうじゃないか」という感じで、これまた迷うことはありません。
が、サンダルやヒールの高い靴では無理だと思う…(そのそも、アウトドアに適さない格好で来て楽しいところじゃない(笑))
連理木
三の滝
エライところで休憩しておる…
二の滝
一の滝
一の滝、二の滝、三の滝と3つの滝を合わせた落差は80mもあるそうです。
今は水量の少ない時期(冬)なのでエレガントな感じですが、水量の増える夏場はダイナミックなことでしょう。
円明の滝
「円明流」にちなんで名づけられました。円明流は、二天一流創始以前に開いた流派だそうです。
二天の滝
宮本武蔵が滝行したという伝承が残る滝です。武蔵の雅号「二天」から命名されました。
ぐるっと回って来た道を戻ります。散策ゾーンへ。
発想が貧困なので、宮本武蔵というと海老蔵のイメージ(笑)
略歴を読むと、関ケ原合戦に西軍(石田三成方)で参戦、大坂の陣には東軍(徳川家康方)の客将として参戦とかあって、人となりがよう分からんです。まあ、客将=傭兵みたいなもんだと思うので、どっちつかずの浪人だったのだろうけれど。そして、乱世にあっては、そういう武士は結構数いたとも思います。
駐車場へ通じる道すがらは、BBQ施設や食堂、民宿が並んでいます。そのうちの1件は熊がマスクしてた…。

GPSログはこんな感じ。滝ゾーン、散策ゾーンをゆっくり回って50分、累計標高は228mでした。
武蔵ゆかりのお寺さんも参詣しておきましょう。
「武蔵伝説探訪のみち」の道標が建っていました。
中部北陸自然歩道の一部のようです。
臨滹山大仙寺
宮本武蔵が禅修行をしたお寺さんです。京都大徳寺・沢庵和尚の勧めで八百津へ来濃、大仙寺八世・愚堂国師に師事したと伝えられています。
美濃三道場(永保寺、正眼寺、大仙寺)といわれ臨済宗妙心寺派別格地として江戸時代には大いに栄えました。
二の門続く椿参道
外壁の石垣がお城みたい!
二の門前にある、武蔵が座禅したとされる石
本堂
地蔵堂とともに、愚堂国師の時代のものだそうです。
デコラティブな灯篭
庫裏
めっちゃ立派…!
玄関が開いてました。入っちゃうよねー。
古い懸魚が飾ってありました。
古い鬼瓦
地蔵堂
墓所には、大きな五輪塔が建っていました。
法雲山正傳寺
こちらのお寺さんは、暦応3(1340)年に夢窓疎石が現在地より500メートルほど東の地に法雲山米山寺として開き、足利尊氏から保護されたと伝わえられています。明応元(1492)年、東陽英朝が住持となり妙心寺派に宗旨替え、永正元(1540)年には美濃守護・土岐政房によって土岐家の祈願所とされました。その後も時代の為政者によって保護され、稲葉方通(稲葉良通の四男)が和知城主のころ、寺基を現在地に移して寺号を正伝寺に改め、父・良通の法要が行われました。ここでも稲葉一鉄が出てくるのかー…。
本堂
数々の寺宝のひとつに宮本武蔵画があるそうです。
施無畏とは、観世音菩薩の別名です。
お堂の裏手にお稲荷さん
お稲荷さんの左から神社参道に繋がっていました。
神社から森へ鉄塔巡視路が伸びていました。そそるけど、今日はやめとこう…。
八百津分岐線の鉄塔番号標識
中電のマークが昔の「電」模様だわ…!
(というか、あのバナナの房みたいなマークも1世代前なのね…)
神社は白山神社でした。
さて、八百津町といえば、杉原千畝。
記念館に寄ってみました。時間が遅かったので閉まってた…。
まあ、そのうち再訪できる機会があるかも知れません。
ちなみに、出身地は八百津ではなく美濃市というのが最近の説です。出生地が母の実家があった(里帰り出産をした)八百津なのでは、という噂。
福沢桃介が手掛けた、旧八百津発電所の余水路。個人的に八百津のイメージは発電所と丸山ダム。
現在は耐震の関係で建物内部の見学が不可ですが10年前は見ることができました↓
関連記事:
福沢桃介記念館へに行ったときの様子はこちら☆
美濃三道場のひとつ、正眼寺(の禅体験会)に行ったときの様子はこちら↓
この年は日帰り参加でした。前年は泊まりで参加(その時の様子はこちら☆)
永保寺は近所すぎて記事未作成(時々、絵はがきを買いに行きます(笑))
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