その6↓の続きです。
竹生島へ。

10時10分発にギリ乗れなくて50分待ち。
折角なので近所を散策しました。

長浜のマンホールの蓋は、千成瓢箪
秀吉っぽい!

長浜城址
模擬天守内部は歴史博物館になっています。20年くらい前に訪れたきりなので、展示も変わっているんだろうなあ。

御馬屋跡
こうしてみると、長浜城も広大だったのですねー。

長浜鉄道スクエアのデゴイチ(D51)

隣にED70形交流電気機関車
館内に入らなくとも貴重な車輛を2台も見せてくれちゃう太っ腹。

対面にある慶雲館。
明治天皇皇后両陛下御僥倖の折、行在所として建てられたそうです。

大灯篭。
高さ約5m、推定重量は20tだそうな。

紅葉が残っていました。さて長浜港へ戻りましょー。

しばし待機。

お船が来ました。

出航です。武将がお見送り。
おや、右側の武士は柏葉の幟を手にしています。山内一豊ですな。

船内の様子
暖房が効いていてぬっくぬく。自販機、トイレもあって快適です。


船内はfree wifiも完備。ありがたいねー。

およそ30分で到着。

入山料を徴収されます。

石段を登ります。

宝厳寺観音堂唐門
淀君(茶々)によって大坂城から移築されました。
狭いところに、みっしり観光客がいるので引きの写真が撮れない…。

塗り替えが完了したばかりなので、天井もとても煌びやかです。素敵ー。

舟廊下
豊臣秀吉の御座船「日本丸」を使って作られているそうです。
ちなみに、在りし日の日本丸の姿は、肥前名護屋城図屏風の左隻(第5扇)あたりに安宅船が数艘描かれているうちの一つだと思います。屏風は佐賀の名護屋城博物館に収蔵されています。見てみたいですなー。

舟廊下の下部は懸造りになっています。
京都の清水寺とか、鳥取の投入堂とか、急峻な傾斜に櫓を組んで建築する日本独特の方法です。
こんなで地震とか耐えられるの?とか言ってはいけない。木材のしなやかさとラーメン構造で免震性能は存外高いのですぞ。
(まあ、震度7で揺れちゃったら、太刀打ちできないかもだけど…)

都久夫須麻神社
市杵島比売命(竹生島では弁天様)、宇賀福神(こちらも弁天様)、浅井比売命、龍神(八大龍王)の4柱がお祀りされています。
近江で浅井!と思ったあなた、歴史ファンですね。浅井比売命は浅井家の氏神様だそうです。

龍神拝所
地べたに沢山ある象牙色のものは、投げられたかわらけ(土器)
鳥居を越えると満願成就だとか。むぅ、難しそう。


絵馬は白蛇と弁天様の柄

竹生島だから笹の紋なのねー。

宝厳寺本堂(弁財天堂)
行基開基とか。歴史がありますな。

三重塔

こちらのお船は彦根から来たのねー。
オーミマリンの直政だそうです。西武グループだそうな。堤の罠がこんなところに!(失礼)

帰りの船が来ましたよ。

1本早い復路便ですが、並んだら乗れました。

長浜に戻るよー。

伊吹山
竹生島は、浅井岳(別名、金糞山(たたら製鉄で出るスラグのことを「かなくそ(金屎、金糞)」と呼び、古の時代、浅井岳を源流とする東俣谷川周辺に鉱山や製鉄場があったそうです))と背比べをした伊吹山が、負けたことの腹いせに浅井岳の首を刎ね、それが琵琶湖に落ちて島になったとかそうじゃないとか。
尾張富士と尾張本宮山然り、こういうお話は日本中に存在するのねー(尾張富士と本宮山の話は、ここまで物騒じゃないけど)

長浜市内に戻ってきました。お昼ご飯にしましょう。
駅前通りと北国街道の交差点。「北国街道」と称する街道は数多くあり、こちらは、中山道鳥居本宿を始点に、米原、長浜など経由し南越前町今庄宿までの32㎞(約8里)です。街道には大概、峠があります。北国街道の難所は、滋賀、福井の県境の栃ノ木峠(538m)。現在の国道365号線です。
それにしても、峠ってのは何故にこうも魅力的なんだろう。字面からしてそそる。

長浜まで来てホワイト餃子(笑)
めっちゃ待った…。
姉川の古戦場を見学しつつ、お家に帰ります。
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