[旅]熊川宿鯖街道で鯖サンド(福井と滋賀(2020年8月)その8)

当初の予定を縮小して福井と滋賀に行ってきました。訪問先は、福井が一乗谷、永平寺、東尋坊、敦賀、熊川宿。滋賀が賤ヶ岳です。
その7↓の続きです。


敦賀を後にし、若狭町の熊川宿にやってきました。
熊川宿は、秀吉五奉行のひとり、浅野長政によって整備された宿場です。
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国道沿いの無料駐車場に置車して散策スタート

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若狭町のマンホールの蓋はアジサイ柄

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京都方面から順に、上之町、中之町、下之町の3つに分けられており、中之町と下之町の境は桝形になっています。

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中之町、下之町の境の桝形

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きりんに乗る熊川宿キャラクターのクマ川さん。
かわいいのに、あまり展開されていなくて残念…。

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オイデナって何じゃいな?
この辺りの方言ですかね。

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松木神社
若狭の義民・松木庄左衛門が祀られています。庄左衛門は命がけで、若狭の農民たちの年貢豆の引き下げを訴えた人です。
それにしても、築城で民草を駆り出したうえに、年貢増徴とか厳しすぎだろ…。
この年貢増徴の方法が、1俵=4斗だったのを、4.5斗に増やすというもので、1俵を詰めるのに、2斗多く大豆が必要になるというぼったくり。人出不足で増産とか無理すぎる。ちなみに、通常、大豆(米でも)1俵は60㎏、60/4=1斗15㎏。計算しててあまりに暴利なので、自分の計算が間違ってるんじゃないかと不安になってきた…。

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得法寺
もとは天台宗のお寺さんでしたが、蓮如上人が上洛する途中に若狭に滞在、得法寺にも逗留したのをきっかけに本願寺のお寺さんに変わられました。

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本堂

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家康腰掛けの松(が、あった場所)
家康が腰掛けた松そのものは枯れてしまって、境内のどこかに根元が残っているそうで…。
信長の越前攻めに秀吉とともに同行した家康はここ、得法寺に泊まられたそうです。

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沼田氏の供養塔
細川幽斎(藤孝)の妻・麝香(細川マリア)は熊川城主・沼田光兼の娘です。幽斎の息子・忠興の嫁さんになるのが明智玉(ガラシャ)
つまりガラシャの姑の実家の菩提寺の供養塔(長い…)

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熊川陣屋跡
ここで厳しい年貢の取り立てが行われていたのか…。

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伊藤忠商事の2代目社長を務めた、熊川村出身の伊藤竹之助が昭和15年に熊川村役場として建てました。竹之助のお父さんが熊川村の初代村長だったようです。

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鯖街道ミュージアム内部
画像の奥の方に写っている藁で編んだ背負子は背負うことができます。小浜から京へは18里(72㎞)。その昔、小浜で水揚げされた鯖はこの背負子に詰められて、1昼夜かけて京に運ばれたそうです。1人で18里も運んだと思えないので、中馬のようなシステムがあったと思うけれど、草鞋で峠越え…(遠い目)
ところで、鯖って「生き腐れ」っていうほどですが、塩蔵程度で大丈夫だったのかしら…。冬なら大丈夫かなあ。でも、雪深いから腐敗の心配は減っても、低温被害の心配が…。謎が尽きん。

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河内川ダムの展示。
重力式コンクリートダムで、水道、農業用水、工業用水に利用されています。
クマ川さんが進撃してる…!

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鯖街道のサバカフェで鯖サンド!

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パンが外がパリパリ、中もっちり。鯖は魚臭さ皆無で身はふっくら。絶妙な塩味とレモンが爽やかで絶品…!超うまい!!

では、福井を後にし、帰路道すがら滋賀へ移動します。こちら↓