苗木城址に登ってきました。(2020年6月)

霧ヶ城、赤壁城の異名を持つ、木曽川河畔の堅牢な山城・苗木城址に登ってきました。

苗木城は、土岐氏と並び東美濃で勢力を誇っていた遠山氏の居城です。天文年間(1532~1555年)に岩村城主・遠山景前(または景友)の二男(もしくは三男)、遠山直廉により高森山砦が増強され苗木城となりました。分家みたいな感じですね。

苗木城址

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苗木遠山史料館に到着。史料館の駐車場を使わせてもらいました。
月曜日に訪れたので資料館はお休みでしたが、お手洗い等は使用可能です。
受付のおばちゃんが感じのよい方でほっこりしました。

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一角には座敷が。具足カッコいい!

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駐車場横の立派な看板。16銀行提供です。わあ、岐阜っぽい。最近は大共に圧されてるけどねー。

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史料館右脇から散策スタート。苔生してて素敵。
傍らに「城址まで25分」の表示がありますが、そんなに時間はかからないです。

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高森神社
奥に進むと山の中腹に風穴があります。江戸時代、この風穴で氷餅を貯蔵していたそうです。

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二の丸跡
遠山家の住居や、家臣集会所がありました。

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大門跡

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千石井戸
今でも水が湧いているそうです。

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苗木城址碑
右から書いてあるので、戦前に設置されたものだと思われます。「従四位遠山友禄…」まで読んで挫折(短い(笑))

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天守展望台

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土台はこうなってる

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展望台からの眺め
木曽川、恵那山ビュー

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展望台からのパノラマビュー

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360°カメラだとこんな感じ

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本丸口門跡あたりから大矢倉跡を望んだところ

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馬洗石
この岩に馬を乗せて米で洗い、敵に水不足を欺いたとか。いやいや、水より米って相当切羽詰まった状態だと思う。まあ、戦いは勝利のみが目的ではあるけれど…。

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笠置矢倉跡
出隅から延長線上にある山が、中津川市・恵那市にまたがる笠置山(標高1,128m)

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大矢倉跡
3階建ての矢倉。御鳩小屋とも。

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大矢倉跡裏から先へ進めそうな感じ。行ってみましょう。

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水船のような石垣が組んでありました。
雨水を貯めて、馬の飲み水にしていたそうです。

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水船の対面には北門跡

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さらに森に入っていけそうです。行きましょう!

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さくら公園を目指します。

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知らない間にさくら公園を通り過ぎていました…。
桜が植樹してある公園のようです。お花見の時期に来ると素敵かも。

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駐車場の端に睡蓮の池が作ってありました。

家臣屋敷跡と大名墓地

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駐車場に戻る道すがら家臣屋敷跡を発見
島崎三五左衛門屋敷、だそうです。
中津川市のアーカイブを見ると役職は御用人だったみたい。できる人だったのね。

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石段を上がってみたら…

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公園として整備中のようです。敷地は左程広くない感じ。

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雲林寺参道の看板を発見
お寺があるのかしら?(と、この時は本気で思いました。無知って悲しい)
雲林寺は、苗木藩主歴代の菩提寺だったお寺さんです。

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竹林を進んでも夬雲塔が分からないので…(存在しないので分かるはずない

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適当に道を曲がったら、墓地に出ました。お墓は壊されなかったようです。
右のほうに武家のお墓があるわ。行ってみましょう。

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苗木城主遠山家の墓所でした。

苗木藩下で徹底した廃仏毀釈が行われたのは、大参事・青山直道が熱烈な平田派だったためで、明治になり青山暗殺未遂事件が起こりました。
(もちろん、廃仏毀釈のみが原因ではありません。もともと苗木藩は、富裕藩ではなく、さらに享保の時代に領地を召し取られてカツカツでした。手をこまねいていたわけでなく新田開発なども行いましたが、あんまり効果がなく。ずーっと貧しかった…)

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周辺一帯には新旧さまざまなお墓が建っていました。大名墓地の表示があったので、家臣たちのお墓かしら。

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安田太左衛門殉死の跡
中津川市の案内によると、
苗木領第5代遠山友由の側近として仕えた太左衛門は、29歳の若さで死去した友由の墓前の地である巨岩の盤上で殉死しました。殉死は幕命によって禁じられていましたが、太左衛門の忠誠心と責任感の強さによるものとして問題になりませんでした。
だそうです。

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この岩の上でお腹を切ったのね。数え39歳だったみたい

駐車場に戻ってきました。ゆっくり見て歩いて2.5㎞、比高差140m、所要時間1時間半でした。
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GPSログ
崩落個所が多数あり見れていない部分が沢山あります。時期を見て再訪決定です。

遠山直廉のお父さん・遠山景前(または景友)の居城だった岩村城へ訪問した時の記事はこちら↓

ちなみに、岩村城の休憩所に掲げてある「歴代城主」を見ると、景友、景前の順に書いてあります。今現在では、はっきりとした記録が見つかっていないのかも。

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