妻木城址に登ってきました(2020年5月)

明智光秀の妻・煕子ゆかりの山城・妻木城址と麓の士屋敷、崇禅寺、八幡神社などを見てきました(今回の記事は、超絶ボリューミーなので、ぜひ目次をご活用ください)


妻木城士屋敷跡

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士屋敷跡に到着。駐車場には城址の看板が建っています。パンフレットもあるよ。
士屋敷跡は江戸初期から万治元(1658)年の妻木家断絶まで陣屋(武家時代の役所兼邸宅)や妻木家に仕えた家臣たちの屋敷などがあったところです。山城に住んでると、いろいろ不便が多いので麓に屋敷を構えたのですね。

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さっそく見て回りましょう

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屋敷跡を囲む石垣

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屋敷に入る階段跡

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井戸跡

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御蔵跡

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パンフレット

妻木城址

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登山道から登城しますよ。こんな感じの急な上り坂が25分くらい続きます。
天気は曇り、気温22度という快適な気候、また、足元はスニーカー、負荷2.8㎏(お弁当と水筒)の軽装で取り付きましたが、それでも軽登山を感じました(ま、私の運動不足もあるけど)
現代の装備で挑んでも「山登ってる!」なので、わらじ履きと木綿の着物での登城は厄介この上なしでしょう。そりゃ、有事でなければ麓に住むわー。そう考えると、昔の人って屈強だなも…。

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中腹を過ぎると巨石が出てきます
御嵩町東部、土岐市、瑞浪市北部に分布する土岐花崗岩です。

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堀切

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井戸跡
ニワカの私には、どのあたりに井戸があったのか分かんないっす。その道の方には判ることでしょう…。

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土塁

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妻木城址の代名詞、クサビ跡(矢穴)の残る石

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近くまで寄ることができます

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クサビ穴の大きさは長辺8㎝くらい

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三の丸跡からの眺め
北の方角、妻木、下石方向です。さらに奥に高山城址があります。

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伝・蔵跡

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人工的に積んだものか、自然石か分からない箇所も

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こちらは、もとは一枚岩だったものが、節理に沿って自然に割れたものです。

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二の丸跡の石垣

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二の丸跡

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説明の看板は二の丸跡、虎口ちかくに建てられています。
こちらの案内によると、これまで妻木城は暦応2(1339)年に土岐明智彦九郎頼重により築城とされていましたが、その後の調査で築城は15世紀中ごろ~後半ではないかという説が出ているそうです。
妻木城12代城主の妻木広忠は、光秀の妻・煕子の父とされている人物(所説あり)です。光秀に仕えていたため、山崎合戦で光秀が敗れると、西教寺で自刃しました。広忠の自刃でによって城を継いだ13代城主・妻木頼忠(広忠の孫。所説あり)は主君・森家に従い、天正12年の小牧長久手合戦で秀吉方につき、内津峠に布陣しました。
ここで、小牧長久手で秀吉に付いたのに、その後、陣屋を構えることができたのは何故(。´・ω・)?と思ったあなた。
小牧長久手では、家康に牙を向いた妻木家ですが、その後の関ケ原では東軍に与し功績をあげたため、家康から改めて所領を認められました。

内津峠周辺さんぽの様子はこちら↓


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本丸跡

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伝・旗立て石

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本丸跡には、城山八幡神社が祀られています。

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矢穴(クサビ穴)の残る石

来た道を戻るのは面白くないので、南側駐車場から林道を歩いて士屋敷跡へ戻ります。
距離は3㎞弱、所要時間は30分くらい。なだらかな下りが続くので、体力的にはしんどくありませんが、歩道がないので車に注意。
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山肌に花崗岩の地層が露出しています。鬼岩ってこんな感じだったような。

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妻木川にそって歩きます。川底にも花崗岩地層が露出しています。

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パンフレット

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位置関係はこんな感じ
地元有志の方たちの尽力で、登山道も整備され、立ち入り禁止表示も少なく比較的自由に見学できるお城です。
しかし山城です。滑落や害虫の危険性も若干はあります。
ちょっとでも危険を感じたら、それ以上は踏み込まないようにしませう。

崇禅寺

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光雲山 崇禅寺
臨済宗妙心寺派のお寺さんです。
文和3(1354)年土岐頼重が夢窓国師(夢窓疎石)を勧請開山、果山禅師を開山として創建(開基)しました。
中興開山・清岩宗源は春日井市の泰岳寺の第6世住職も務めていました。
(泰岳寺は第9世まで崇禅寺住職が兼務をしていました)

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山門は妻木城士屋敷から移築されたものです。

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境内にはお稲荷さんがあります。

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お稲荷さん正面に城山が見えます(矢印で示したところが城址)

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外壁がとってもラブリー
見た目がカワイイだけでなく、瓦の再利用もできるし、土塀の補強にもなるしで一石三鳥ですね!

妻木公民館(しろやま観光案内所)

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入館無料で前知識を仕入れることができます。御城印もこちらで配布しています。
開館時間は10時から4時。お土産物販もあるよ。入館アンケートに答えると美濃焼(湯吞みとか土瓶とか)がもらえます。

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内部の展示は、妻木家関連と八幡神社関連が半々くらい。
流鏑馬神事が行われていることに驚き、その衣装が本格的でもう一つ驚きました。これは、もっと他所に知られてもいいと思う!

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妻木家関連の展示は、主に江戸以降のものが展示されていました。

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屋外に顔はめ看板が設置されてました。
(5月に来た時は置いてなかったのですが、6月に再訪したら設置されてたー)

八幡神社

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参道を登ってきました。
毎年10月に行われる流鏑馬神事で、この白砂の道を馬に乗った地元の子供が駆け抜けるそうです。カッコイイ!
公民館のおっさん曰く「夏頃から練習を始めるのだけど、今年はコロナ騒ぎで中止」とのこと。来年以降、いつか見てみたいです。

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本殿は階段の向こう…。結構な急登ですな。

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立派な御社!
八幡神社は、土岐頼重が元応元(1319)年に創建したといわれています。
その後、関ヶ原合戦を経て、旗本となった妻木家頼により、ほぼ現在の神社の規模に拡充されました。ところが、万治元(1658)年、妻木頼次急死により妻木氏は断絶、以降神社運営は村民達で行われるようになったそうです。

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八幡神社の絵馬は、達磨さんと初参りの戌の絵柄。
張り子の犬の目がちと怖い。どこ見てるのー。

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御社から森に入っていけそうです。
行っちゃうよねー。

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使われなくなった野球場に出ました。
画像に写っていませんが右側には、ソーラーパネルがびっしり設置してありました。

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更に森を進むと敷島公園の現在使われている野球場、テニスコートに出てきました。
道なりに進むと、敷島公園の古い石碑がありました。

神社に戻ってきました。
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さっき見ていなかった木曽馬を見学。流鏑馬で子供を乗せるお馬さんだそうです。
ちなみに、この画像はそうでもないのだけれど、他の写真を見たら、えげつないことになっててビビった。馬はパンツ履かないから仕方ない…。

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ウドちゃんの旅してゴメン」が取材に来たみたい。

土岐市美濃陶磁歴史館(特別展~光秀の源流~土岐明智氏と妻木氏)

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こちらのブログで「妻木城址に行くなら、この特別展は見といたほうがいいよ!」と紹介されていたので見にきました。

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見にきてよかった。普段は群馬にある土岐家文書が200円で見られるのは有難いです。
だって、どうがんばっても群馬まで200円で行けないもん…。

第一部は撮影禁止なのでメモしまくり。手元にある見学メモをみると…
 ・土岐源氏の最初の拠点は、一日市館(現在の瑞浪市土岐町)
 ・夢窓疎石の師匠は無学祖元(仏国国師)
 ・土岐頼重が相続したのは、妻木郷と多芸荘(大垣、養老)
  明智氏の本拠地は妻木郷であり明智荘は領有していない。
 ・明智頼高が頼重から相続した領地のほか、多芸荘内多嶋郷、頼忠領地だった武儀荘の一部、
  伊川郷(可児)
 ・土岐康行の乱
 ・応永34年、明智宗家の領地は妻木郷と武儀荘の一部だけになっていた
 ・土岐頼芸→臣下・明智定明
  天文21(1552)道三に負けて戦死。道三側についた定明の弟・頼安が妻木郷領主となり、妻木姓を名乗るようになる。
…など。応永34年は、西暦にすると1427年、光秀が生まれる100年も前です。次のメモが1552年。光秀すでに24歳。丁度いい塩梅の所が抜けてる…。ただまあ、このメモから妄想するに光秀出生地に恵那は厳しいかなって思います。

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2部構成で、第一部は貴重な文書などの展示で撮影禁止。第二部はお城や屋敷からの出土品(主に陶磁器)の展示でした。

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志野麒麟文皿
…いつの時代にも画伯がいたのね…。

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妻木城址出土品

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士屋敷跡出土品
ちなみに、花崗岩は風化によって真砂土(マサ土)という砂に分解されます。このマサ土が加水分解などの化学変化を経ると粘土質に変化します。この粘土が陶磁器の原材料です。
東濃、瀬戸地域で焼き物が盛んな理由は花崗岩地質からのマサ土、そこから良質の粘土が産出されるためです(大雑把な説明です。陶器と磁器の違いは割愛)

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妻木城址、士屋敷跡(赤字でGのところ)、崇禅寺、八幡神社の位置関係はこんな感じ。公民館と歴史資料館は地図に入りきりませんでした。
(歴史資料館は妻木町内ではなく、泉町なのでちょっと離れてる)
これら史跡と寺社、公民館、歴史館を1日で周遊するには車必須です(幹線以外の公共交通機関が乏しい)
逆に車があれば1日で周れます。ただし幅員が狭い箇所があるので運転には気をつけて。

長文すぎる内容ですが、妻木城址関連はこれにて。記事分割すべきでしたわー。
ここまで読んでくださった方がもしいらしゃいましたら、大変お疲れ様です。ありがとうございました。

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