大山廃寺跡と兒神社に行ってきました。(2020年4月)

古に「西の比叡山、東の大山寺」と言われるほどの栄耀を誇ったという大山廃寺と跡地に建つ兒神社を見にいってきました。

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電子地形図25000(国土地理院)を加工して作成
小牧市のHP(大山廃寺周辺地形測量図)を見ると大山廃寺跡、兒神社、江岩寺は小牧アルプス・本堂ヶ峰の中腹に存在します。緑色で示した山が小牧アルプス(採石場、JR東海研究所は除く)です。
…画像をいじっていたら楽しくなっちゃって、逆に見難くなってしもた。興味のある方は拡大してご覧ください。


大山廃寺、兒神社

大山寺は飛鳥・白鳳から室町時代にかけて山岳寺院として存在しました。
江岩寺に伝わる「大山寺縁起」によると、奈良時代末期には伽藍が築造されました。それから300年ほどは荒廃するも時代は流れ、永久(1113〜1118)年間に比叡山法勝寺の玄海上人が大山峰正福寺として再興、大山三千坊と称される一大拠点となりました。
しかし仁平2(1152)年、玄法上人の代に、延暦寺(山門)と三井寺(園城寺)(寺門)の間で起こった対立で、三井寺僧徒により寺は焼き討ちに遭います。寺院はすべて焼失、和尚と2人の稚児も非業の死を遂げました。この時に亡くなった稚児たちを祀ったのが、大山廃寺に隣接する兒神社です。
さらにその後は、復興と衰退を繰り返し15世紀中頃に完全に滅尽しました。
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大山廃寺跡、兒神社に到着
私は、ふれあいの森から歩いてきましたが、林道を車で登って来られます。

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ちなみに、林道は幅4mです。カーブが多いので運転に気をつけて。

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大山廃寺跡の説明表示
この表示板の手前に、広い駐車場があります。

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手前の石碑には「兒神社へ六丁 右善光寺 明治二十八年三月」と彫ってあります。
1丁(町)は109mなので、以前はここより約650m離れた場所にあったものを移設したのかも知れません。

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礎石建物跡の説明表示

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…の先を眺めるも、どこを示しているのか不明…。

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御社の右の木に、小牧アルプスと天川山、兒神社への方向表示が括りつけてありました。
天川山へは、ふれあいの森からアプローチが一般的だけれど、あのコースは途中であれがあれだから、こちらから取り付くほうが良いのかもしれません…。

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御社
 
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祈祷受付があるので、何かの折(例えば、新年の初詣や七五三など)には宮司さん、祢宜さんなどがお出でになるのでしょう。

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御社の左に、小さな祠が3つ。一番右には「氏神」と書いてあります。

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塔跡へ向かいます。

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これまた、解読が難しい説明表示
手で擦ってみたけど、1ミリもきれいにならなかった。これは水と束子と雑巾がいるやつだ…。

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均等に礎石が並んでいます。
先ほどの、礎石建物跡の数倍分かりやすい!(笑)

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真ん中の石は、心礎と思しき形をしてます。

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地図を見ると、斜め左に進むと本堂ヶ峰に到達できそう。…魅惑的だけど、今日はやめとこう。


江岩寺

さきの正福寺焼き討ちから400年、安土桃山時代に状況が変化します。正福寺再興を願った正親町天皇は十洲宗哲禅師を中興の祖に勧請し、僧坊の一つだった洞雲坊を洞雲山江岩寺と改名、宗派も臨済宗妙心寺派へと改宗し寺院を開きます。寺号や宗派を変えたのは、同年(元亀2(1571)年)に起こった織田信長の比叡山焼き討ちの影響を恐れたためと言われています。

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江岩寺開山の目的が大山寺再興なら、兒神社から江岩寺に繋がっている道があるはず、と地図を見ると破線で示されていました(上の地図の赤いマーカー部分)
そして、目の前には石畳の古道。これは…行くしかない(笑)

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石畳は途中で擬木のステップに変わりました(左) 大雨などで崩落して、補修したのでしょう。
(右の画像は、江岩寺から戻ってくるときに見上げたものです)

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さらに進むと、整った石段と大山廃寺跡の案内表示板
寄進なさった篤志がいらっしゃるようです。

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江岩寺の裏に到着。沢にかかる橋は、ちご橋って名前なのねー。

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ではお参りしましょう。

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境内にはいろいろな石仏がいて、ちょっと楽しいかも。

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薬師堂

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墓所へ登る坂道(薬師堂の左側)に古い石碑群がありました。
石碑には、庚申供養、白山大権現、御嶽大権現(?これは、ちょっと自信がない)、三界萬霊供養などの文字が彫られていました。
小牧アルプスを本宮山方面へ向かうと、白山神社(尾張白山)、その手前に御嶽神社があるので、その関係かしら。


石尊不動明王

兒神社に戻ってきました。神社から北に進むと石尊不動明王があります。
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石尊不動明王は大山の山岳信仰と修験道が融合した神仏習合の神、だそうです。
だから、大山(廃)寺なのか…。

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干支の守り本尊がお祀りされているのですが、仏画が朽ち果てて、結構なホラーになってた(苦笑)

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本堂
軒先に江岩寺のニュースレターが配置されていました。江岩寺さんがお世話して下さっているようです。
おや、本堂右に踏み跡が…。森に入れそうですよ。

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行っちゃうよねー。

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さらに進む(と言っても、2~3分程度)と巨石がごろごろ。
節理に沿って割れているところをみると、花崗岩地質のようです。土岐の妻木城跡みたいです。

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行き止まり。大山川の源流でしょうか。
沢の先に、踏み跡があるので進めなくもなさそうだけれど、今日はこのあたりで勘弁しとこう…。


大山廃寺跡、兒神社、石尊不動明王、江岩寺はこんな感じ。
山寺なので、散策の際は歩きやすい靴推奨です。これからの時期は虫よけも。
正福寺焼き討ちに関しては、三井寺説と延暦寺説の両方があります。江岩寺のHPでは、延暦寺による焼き討ちと説明されています。如何せん古いできごとなので正確な情報はなさそうな感じ(今後、新たな発見が出てこないとも限らないけど)
個人的には、正福寺建立の際に、延暦寺縁者が再興の祖である以上、延暦寺による焼き討ちは可能性が低いのでは、と思うのですが...。
江岩寺が臨済宗妙心寺派として再スタートしたのは、信長の菩提寺(摠見寺)が同宗派だったことも関係しているのでしょうかね。自分の事を第六天魔王とかなんとか言っちゃうのに、寺院創建とか本当に分からん人だなー。

今回は恐ろしく長文になったうえに、私の自己満足までぶちまけて、ここまで読んでくださるような殊勝な方はいないと思うけれど、もしいらしたら、ありがとうございました。

追記(2020/05/28):兒神社~江岩寺の古道のGPSログを後で確認したら、直線になってました。
大きく湾曲している徒歩道がある(とは思えなかったけど)のか、単にGPSが上手く受信できなかったのか(たぶん、こちらの症状)…。
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ログは、江岩寺(標高116m)から兒神社(147m) 距離237m、比高55mです。

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