お昼ご飯を食べた信玄から、車で20分弱で光秀菩提寺、戒光山 西教寺に到着。
駐車場がいっぱいだったので、空きがでるのを暫く待ちました。

前知識ゼロで挑むという失礼な参拝を猛省させられる立派なお寺さんでした。
天台真盛宗総本山、聖徳太子開基と伝えられています。また、元亀2(1571)年の信長による比叡山焼き討ちの際には、こちらの西教寺も同じように燃えてしまい、その後、このあたりを拝領した光秀が寺院再興の援助をしたそうです。

なだらかな坂の参道を登って山門からは…

琵琶湖ビュー。風光明媚ですね。

扉の細工が素敵。

境内に到着、拝観受付、物販などの社務はこちらで。
(本堂の裏手にあるので、ちょっと分かりにくいかも)
拝観料おとな1人500円。お値段以上のボリュームです。

建物は渡り廊下で繋がっていました。手もお金もかかってる…。

本堂

伏見城から移設した客殿の上座の間

巴瓦にお寺の名前が入っててカッコいい!

ひな人形の展示が行われていました。

こちらの庭は、小堀遠州によって作られたそうです。
大名やりつつ、茶人もやって、お庭の設計もできるなんて…天才じゃん。

明智家墓所
光秀の妻・煕子は本能寺の変より6年前に亡くなっているので、一族の不幸を目にしていません。これは、彼女にとって良いことなのか、否か…。まあ、そうでなくとも苦労の絶えない人生だったろうことは想像に難くありませんが。

光秀辞世の句
「順逆無二の門 大道は心源に徹す 五十五年の夢、覚めて一元に帰す」
レファレンス協同データベースによると、ただし後世誰かの偽作であろうとの記述あり。という気になる一文があります。
なので、個人的には「時は今…」を辞世の句と捉えてもいいんじゃないかと。分かんないけど。
お寺巡り(?)まだまだ続きます。お次は、三井寺へ。
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