[旅]ペリリュー島戦跡ツアーに参加しました その4(パラオダイビング(2019年9月)その22)

9月22日から27日まで5泊6日の日程で、10年ぶりにパラオへダイビングに行ってきました。
その21↓の続きです。


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午後のツアーは、2015年に上皇夫妻も慰霊にご訪問された、西太平洋戦死者慰霊碑からスタート
菊竹清訓(1928〜2011年)さんの設計です。西太平洋戦死者慰霊碑だけでなく、パプアニューギニアの南太平洋戦没者慰霊碑、マジュロの東太平洋戦没者の碑、アッツ島の北太平洋戦没者慰霊碑など、各地に彼の設計した慰霊碑があります。

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慰霊碑には「さきの大戦において 西太平洋の諸島及び海峡で 戦没した人々をしのび 平和への思いをこめて この碑を建立する」と書かれた銘板が嵌め込まれています。

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慰霊碑の屋根部分は、飢えと渇きに苦しんだ兵士たちへの慰霊として雨水が貯まるようになっています。
溜まった水は、パラオの名産品でもあるシャコ貝の水受けを伝って…

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海につながっている樋を流れるようになっていました。

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慰霊碑のある場所からは、同じく激戦地となったアンガウル島が見えました。
(アンガウル島も行ってみたいけれど、定期的なツアーはなさそう)
この写真からも、この島がゴツゴツした石灰質の地層ということが分かります。質感としては、先島諸島の琉球石灰岩を彷彿させるような。

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再度、飛行場を通り過ぎると、今度は米軍のアムトラック(LVT、水陸両用戦車)がありました。

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後部シャフトは、錆付きもなく滑らかに動きました!
観光客が訪れるたびに回すので、今後もこの部品はピカピカなままでしょう(笑)

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さらに奥に進んだ洞窟には、日本軍の大砲
ちなみに、この大砲は使われることがなかったそうです。

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大砲のあった場所からすぐのところには、日本兵捕虜収容所跡。
鼠返しが内側に向いていることから判断できるそうです。
ただ、当時の日本軍は「生きて虜囚の辱めを受けず(戦陣訓)」という精神だったので、自ら白旗を上げた兵士は少なかったと思います。分かんないけど。

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天照大神を祭神とするペリリュー神社へ

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小ぶりなお社もありました
拝殿の両脇には、上皇さまが詠まれた「戦ひにあまたの人の失せしとふ 島緑にて海に横たふ」と上皇后さまの「逝きし人の御霊かと見つむ パラオなる海上を飛ぶ白きアジサシ」と刻まれた石碑が建てられていました。

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傍らには、ニミッツ元帥の言葉が刻まれた石碑が(しかし、この形はどう見ても墓誌)
石碑には「tourist from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island pacific fleet commander in chief(u.s.a) c.w.nimitz (built nov 24.1994)」(この島を訪れたすべての国の旅行者たちへ。 日本兵がこの島を守るために、勇気と愛国心を持って戦い、死んでいったか語り継いでほしい。太平洋艦隊司令長官チェスター・w・ニミッツ(1994年11月24日建立)(雑な翻訳))
敵を称えるとか…兵(つわもの)だわ!

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さらに海のそばには、海兵隊の慰霊碑が建っています。
慰霊碑には、「in memory of the marines who gave their lives in the seizure of peleliu and ngesebus island from the japanese during the period of 15th september through 15th october 1944」(1944年9月15日~10月18日までのペリリュー島とガドブス島での対日戦で亡くなられた海兵隊員を記念して)(さっきより、もっと雑な翻訳)と刻まれていました。
また、この画像では花輪で見えませんが、銘文の下に、ひし形に「ガダルカナル1」とデザインされたエンブレムが彫ってあります。海兵隊第一師団のマークです。
ちなみに、ガドブス島とはペリリューの北にある小さな島で、当時は飛行場がありました。ペリリュー島上陸後すぐに見た橋脚は、このガドブス島まで繋がっていました。
海兵隊にとってペリリューの戦いは(壊滅に追い込まれたため)不名誉で、銘文があっさりした内容なのは、それもあるかもです。

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ペリリュー神社と海兵隊第一師団記念碑のある場所は高台なので、津波安全地帯の標識が建っていました。
世界共通語「tsunami」!

中川大佐終焉の地、大山(bloodynose ridge)に向かいます。
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こんな感じの山道を、だらだらと登ります

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途中、地べたに刺さった紅白の杭を発見。
これは、白より内側は地雷除去済、赤より外側は未処理という意味で、ここを歩くときは、白より内側しか歩いちゃだめってことです。
そして埋まっている地雷は、先の大戦のものです。来年で終戦75年なのに、未だこのような状態です…。

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この危険な作業をオーストラリアのODAが行ってくださっていました。
(上のリンクを読むと、地雷除去作業は2017年に終了している様子)

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昭和64年2月(!)と刻まれた顕彰碑

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中腹には、横穴が掘られています。恐らく出入り口だと思うのですが、屈んでやっと通れそうな幅でした。

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中川大佐終焉の地
この鎮魂碑の左手に洞窟の入り口がありました。
ちなみに、実際に自決した場所はさらに藪の奥です。不発弾が残っていたり、足元が不安定だったりと、危険すぎてツアーでは立ち入り禁止だそうです。

これで、一連のツアー行程は終了、北波止場からコロールに戻ります。
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