[旅]ペリリュー島戦跡ツアーに参加しました その2(パラオダイビング(2019年9月)その20)

9月22日から27日まで5泊6日の日程で、10年ぶりにパラオへダイビングに行ってきました。
その19↓の続きです。


ペリリューWW2博物館へ
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下のほうにある鉄球は引き上げられた日本軍の機雷です。

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こちらの建物は、戦時中、日本軍の通信施設として使われていました。
普段は地元のおばちゃんが管理してくださっているようです(観覧者が来ると開けてくれる)

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軍事施設なので、とても頑丈な作りです。鉄筋がめっちゃ細かく入っています。
無数に空いている穴は銃創のあと。

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内部は入り口から見て右半分が日本軍、左側に米軍の遺留品などの展示がありました。
日本軍の展示の箇所には、日本語表示も。
以前は内部撮影禁止だったようですが、今回、写真を撮っていても咎められることはありませんでした。スタンスが変わったのかしら...。

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日本陸軍が採用していた九九式小銃(7.7mm rifle)
重量は3.9kgあります。

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タイヤをくり抜いて作ったサンダル。
ペリリュー(に限らず、パラオの大多数の島)はサンゴ礁の石灰質地層でできています。鋭利なので裸足では歩けません。
足裏を保護するものは必須アイテムです。うっかり創傷し、感染してしまっても治療薬も不足してるし。
サンダルを寄贈してくださった土田喜代一さんは、ペリリューから帰還した数少ない生存者だった方です(昨年10月死去)

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戦時中パラオで特務艦・石廊に乗艦していた石川富松さんと、伝説のガイド(!)東出陽子さん
2004年に行われた石廊での慰霊ダイビングの様子です。
石川富松さんも2013年7月にお亡くなりになられています。来年で戦後75年、当時を知る貴重な人材がどんどん鬼籍に.…。

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屋外展示の魚雷
日本海軍の魚雷は、当時、世界で唯一、燃料に純酸素もしくは高酸素濃度の混合気体を用いていました。これは、推進力が増すだけでなく、排ガスが二酸化炭素と水蒸気のため雷跡(魚雷の軌跡)が分かりにくいというメリットがありました。

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博物館を後にし、コースを進みます。
野ざらしになっている九五式軽戦車戦車
ちっちゃくて小回りが利きます。が、それ故、装甲が薄く(12mm)、シャーマンの75mm砲の前にあっては、なすすべもなく...。
(シャーマンなんて装甲70mmもありますからね。軽トラとハマーくらいの違いがありますよ..。どうでもいいけど、ハマーのエコカー認定が未だに納得できない)

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次は、日本海軍司令部跡へ

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手作り(かな?)の標識

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内部の見学もできます

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天井には、砲撃で空いた穴が...

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電気配線がぶら下がっていました

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居住区部分には、流しや...

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トイレ(当然和式です)

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お風呂もありました。
近づいてみたら、この湯船は深さが結構ありました。諏訪の千人風呂のように立ったまま入る仕様です。

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2階にのぼる階段。手すりの丸みが素敵意匠です。
写真には写していませんが、階段には滑り止め加工も施されていました。
以前は2階も見学できたそうですが、老朽化が進み今では見学不可です。

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ぐるっと回るとなだらかな階段を備えた出入り口。
司令部として使われていた当時は、こちらが玄関だったそうです。
端が丸く加工してある階段や天井付近がスパニッシュ・コロニアルを彷彿させる感じ。オサレー。
ちなみに、海軍には、建築・建設を得意とする部隊もあったそうです。

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奥に進むと別の部屋。めっちゃ分厚い鉄扉

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先ほどよりも無骨な感じです。こちらも軍事施設なので、とても丈夫に作られています。
数年前の大きな台風の際には、地元住民がここに避難に来たそうです。

長くなってきたので、またまた記事を分割します。
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